祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

9月6日に(父の記録)

膵臓がんの父の記録


昨日のことでした。

仕事中に携帯に連絡がありました。

それは父の入院先の医療連携室の看護師さんからでした。

緩和ケア病棟があいたので

今週木曜日か金曜日に移りたいと思いますが

ご都合いかがでしょうかという内容でした。


緩和ケアを希望して登録したのに

いよいよ声がかかると

心は深い森のざわめきのように

揺れ動き、鼓動が早くなりました。


父が不安にならないように

サポートお願いしますと言うのがやっとでした。

それから、個室の中にあるトイレに行くのも

夜中はよく見えないし、寝起きでふらつくということも

父から聞いていたので伝えると

緩和ケア病棟は、スタッフの数も多く

心配しないようなケアができるということでした。


電話を切り、頭が真っ白のようになり

思わず祈りの本を開きました。


緩和ケアの入院から退院までの平均は1か月

さようならをする日が刻々と迫っています。


ちょうど父は、月曜日の夜から1泊

自宅に戻る予定でした。


次に戻ったら母にヘアカットをたのみたいと

言っていました。

父は、20代の頃からずーっと髪を母に切ってもらっています。

けれども、自宅では気がつくと目を閉じて

眠りに落ちていました。


火曜日の今日、本当は夕食後に戻る予定でしたが

常に目を閉じている父は

毎週楽しみにしていたスペシャルディナーも

もう無理そうだったし

ヘアカットも無理でした。

お風呂も無理しなくていいよと言いましたが

さっぱりするから入るというので

ソファから立ち上がる力もない身体を支えて起こし

父は、杖をつき家具や壁をつたい歩きしながら

浴室までようやく歩いて行きました。


介助もなく1人で入浴し

出て来て再びソファに倒れるように座り

半分寝ている眼差しで肌着の上にパジャマを着ながら

途中、目を閉じてしまったり、とにかく眠そうでした。

足をアロマでオイルマッサージして

エデマの足背や痛い腰に湿布を貼りました。


レスキュー薬を持ったままで眠っていたり

今服用したばかりなのに

またレスキュー薬を飲もうとしたのを発見したときには

さすがに、妹と2人で止め

これは早めに病院へ戻ろうと思いました。

自宅での薬管理はどうしても自分でできるからと

私たちに手伝わせてはくれないのです。

病院に戻れば、薬は看護師管理なので

ナースコールでレスキュー薬をもらえます。


台風も心配だからと父を促し

夕食はいらないと言うので、病院に電話して

早めに戻るけれど、夕食は食止めのままでいいと言って

私たちは父に声をかけながら支度をして

出発しました。


父を病室に寝かせてナースステーションに行くと

主治医の先生がいらしたので

少し病室の外で話をしました。


先生は、がんが進行して来ているし

緩和ケア病棟に行くことで

点滴もやめれば浮腫も引くかもしれないし

薬も注射などに変えて行くと話されました。


先生は父に会ってくるからと病室に入り

おかえり!と言う感じで訪室し、ほどなくして

部屋を出て来て、廊下にいた私たちに

もう自宅には帰れない、限界ですと

父が言ったと伝えられました。


緩和ケア病棟に行って、少し落ち着いて

くれたらよいのですが、先生からも

現実的なことも考えていかないといけない時期とも

言われました。


帰る時に父はベッドの中から

延長戦だ、と言っていました。

好きな広島カープが絶好調で

延長戦勝ちもよくするので

その話にかけて言っているのでしょう


ガンバレ!延長戦!

長い長い延長戦がいいけれど

苦しかったら、穏やかに試合終了してもいいよ


私たちはいつまでもずっと応援するから

安心して、お父さんらしい試合をしてね


母には、この話はできません。

多分この先は、母のケアもしていかないと。


明日はどんな日が来るのだろう


父の病室には

心を騒がせるな

神を信じなさい

(ヨハネ14.1)

というみことばが貼ってあります。


私は、訪れるたびに

このみことばをかみしめるのです。


今日も祈りのうちに