祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

1年たちました

今日で、夫の病気がわかってから

1年です

この1年無我夢中で自分にできることを

全てやりながらマラソンしてきましたが

もう一度することになっても

できる自信はありません。


とにかく1年目が穏やかでよかった


GWは私が長いお休みできない仕事なので

夫のことも連泊で自宅に帰してあげることは

できませんでした。


2日に仕事が終わってから一緒に帰り

3日の夕方にはまた病院に戻りました。

帰宅した日の夕食はカレーを作りました。

帰宅した日は少しだけアルコールも‥‥

この病気、食事制限がなく

主治医からもアルコールOK出ています。


3日はお天気もよくて

お昼にすぐ近所の手打ち蕎麦屋さんまで

車椅子でお散歩がてら行きました。



食後は近所の住宅街をお散歩

公園にはあやめかイチハツのお花が

咲いていました。


連休が明けたら

福祉事務所の方を交えて

病院で在宅に向けてのカンファレンスをする

予定です。

実際どれだけの支援が受けられるのでしょうか。

今は想像ができません。


脳腫瘍により、夫のように障害者になる方は

少なくないと思います。

脳外科の手術ができる病院に

このような予後の患者が通えるような

デイサービスがあればいいのにと思う

同じ境遇の方と集い

リハビリをしたりして過ごせる通所施設

障害者の通所施設を検索してみても

色々な障害があり、夫に適しているのかが

わからない

脳外科の病院にあれば

言うことなしなのに。


退職時に有休を消化することになりましたが

有休扱いになった日数分が

傷病手当が支給停止期間となりました。

やめることがわかっていれば

傷病手当を申請する前に

有休消化しておけば

このようなことにはならなかった

結局、有休が残っていても

傷病手当がその分減るのだから

有休消化できる意味も感じられなかった


雇用保険も多分手続きはしないと思う

色々悩んでいたけれど

退職後に私の扶養に入れたために

雇用保険手続きをして支給されたら

扶養は外れるらしいし、

手続きした年金も支給停止になるようなので。


雇用保険も有休も

実のないものになってしまいました。

ちなみに年金が支給され始めたら

その分傷病手当が少なくなるそうです。


全部権利があるように見えるのに

差し引きが生じるこのシステムに

素直に納得できない気もするけれど

これが現実です。


それでも夫が落ち着いていて

病気も安定していて

1年目が迎えられたことに

感謝したい


今日も祈りのうちに