祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

天使みたいだった

悪性膠芽腫のG4で5年生きたこと
専門職の人に話すと
驚かれる


夫の場合、初めの開頭手術の時
95%以上の腫瘍摘出ができたことが
まず希望的な走り出しだったと思います。
再発することは避けられない病気なので
できるだけその時間をのばし
再発の状態を悪くしないことが
治療計画だったのか
カルテやカンファレンス記録を見たい気もする


病気になる直前の夫は
優しい人だったけれど
自分勝手でもありました。
病気になってからは
少ない言語で
信仰への心と自分が求めていた
数々の欲を全て捨てて自然に包まれて
生きたいと、受洗の時に書き残していました。


神様が壊れそうだった彼に
与えてくれた恵みだったのかもしれません。
引き換えに重い病気になって
清い心になってから
天国へ迎え入れられたのかもしれません。
同時に壊れそうだった私のことも
立て直していただけたのです。
ゆるしと受け入れと家族をキリスト者に
迎えることができた事実が
残りました。


色々あやまりたいことが今も私を
責めますが
さいごの夫の顔を思い出すと
静かに微笑むような天使のような
幸せそうな顔だった


家で看取ることはできなかったけれど
家ではできなかったホスピスのチャプレンの
牧師さんの毎日の訪問と
牧師さんがカトリック信者の夫と共に
ロザリオの祈りを共に祈ってくださったこと
まさにマザーテレサのように
その人の信仰に寄り添ってくださったことが
大きな恵みでした。
コロナ禍での制限がある中で
ホスピスは司祭の訪問も許可してくださり
夫も私たちもご聖体拝領ができました。


私、精一杯できた?
これでよかった?


答えてはもらえないけれど
さいごの夫は天使みたいだった


今日も祈りのうちに

5月、最終告知日

5月がきました。
2年前の5月に
夫は何度目かの再発で
それが最終告知だと、その時は
ぼんやりでしか実感がありませんでした。
最初の再発時には、かなりの覚悟の
気持ちでしたが
腫瘍に負けないような気になって
しまっていたのかもしれません。


あれから2年
私は今も生きて、自分の楽しみを
求めている
自分だけ、これでいいのか
時々つらくなります。
でも、人は生きている限り
前を向いて何かを求めて
幸せや楽しみを見つけていくのでしょう。


5月の若葉や
雨のしずくや
初夏の花に
目を向けて
共感する相手もなく
ひとり、心にとどめています。


本当は今の仕事もつらい
ターミナルケアの病院なので
亡くなる方を、お見送りする日々
悲しむご家族を見ると
心がいたみます。


仕事を辞めてしまいたいと
いつも考えています。
働くことに追われて、夫のそばに
あまりいられなかったのに
今、辞めてのんびりする?
罪な自分が見えてしまう


好きな水彩画を描いたり
キルトや編み物をしたり
ゆっくり本も読みたいし
猫たちと一日中過ごしたい
旅行も行ってみたい


こんなことを考えてから
夫に申し訳ない気持ちになります。


5月は好きな季節ですが
悲しい季節にもなりました。


今日も祈りのうちに

天国へお便り

上の子は社会人ですが
下の子も4月から社会人です
昨日、看護師の国試合格しました
私も一段落です


今日は、修道院にお祈りに来ました
いつも「ごめんね」と言っています
だって、もっと優しくできたよね
私は、高次機能障害のために
会話の理解力が難しい夫に
きつい言い方をしたり
自己決定の権利を尊重しなかったり
初めから説明してもわかってもらえないから
説明しなかったりもしてしまった


介護生活に疲れてしまったこともあった


でも、生きているからできたことは
たくさんあったのに


天国で優しい時間と穏やかな日々を
おくっていることを祈っています
牧場に横たわり
空を見て
風を感じて
そんなふうに過ごしている時に
私たちのことを思い出してくれるかしら


どうか、子供たちの歩く道を
天国から守ってくださいね


今日も祈りのうちに