祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

アバスチン9回目

GW最終日の6日に

夫は大学病院に入院しました。

アバスチン9回目の治療のためと

いつものようにMRI検査のためです。


12日退院の日に主治医からのICがありました。

結果としては再発なし、アバスチンによる

コントロール良好ということでした。


2月のてんかんの診断以来服用している

イーケプラについての説明も聞きました。

今回の血液検査では血中濃度12.86という

結果より、10以上のキープと20以下の数値は

良い状態であるという評価でした。


イーケプラという痙攣止めの薬は

てんかんを起こりにくくする効果があるが

副作用として、飲み始めの頃に

だるさ、ふらつき、めまい、眠気などがあり

2~4週間くらいで落ち着いてくるようで

夫の場合は4週間目もまだ眠気や

言語障害があって心配されましたが

今は落ち着いてきています。

この薬、副作用としてイライラ感もあるらしく

これは血中濃度が高すぎの時に

現れることがあるので

イラつきが出て来たら薬の分量注意に

なるから知らせてくださいと言われました。


夫の質問で

失語が進んでいる気がするとありましたが

先生は、定期的な入院で経過を見ていても

特に変わりないと思うと言い

むしろ、気になるということは

そういう気づきを感じるほど

頭が活動的になっているのでは?と言われました。


先生はいつも

前向きな答えをくださいます。

これには、夫も小さな感動をしていました。


私たちは、主治医の先生と

丸2年のお付き合いとなりましたが

本当に良い先生と出会えて良かったと

思っています。


病気が発覚してから

5月で丸2年となりました。


次の治療は7月です。

アバスチン10回目になるので

次でいったん終了となり

9月からは、外来でのMRIで

経過観察となる予定です。


2年の歳月を経て

ようやく障害年金も受給決定しました。

申請から約5ヵ月かかりました。


歩いたり走ったりして来た年月の道が

長く遠く見えます。


今日も祈りのうちに

その後の父・・・膵臓がん

膵臓がんの父の記録


父は膵臓と肺にがんを持ちながらも
ADL自立でなんとか自宅で
生活をしています。


先月のこと
家の植木鉢を移動したようで
その時にどうやら尾てい骨付近を
圧迫骨折してしまいまいした。
本人は「痛い痛い」を連発することがないので
家族はわかりにくいのですが
痛そうにしているので
もしや膵臓がんの進行かと思いました。
そこで父から、植木鉢の移動の際に
腰を傷めたという話をされ
それでも、この痛みを疑う私たちをよそに
整形外科を受診するというので
とりあえず本人の希望通りのことをして
圧迫骨折のことがわかりました。


治療は
とりあえず安静なので
今現在行っている訪問リハビリはお休みし
食事やトイレ以外の時は
ベッドで寝ていてくださいと言われました。
寝るとき以外はコルセットもつけます。
ところが、父は初めはコルセットも
きついからとつけなかったし
もっとも悪そうなソファに座って
1日を過ごしていました。
その後の受診の時、整形外科の先生から
かなり注意を受けましたが
ベッドで横になって過ごすということは
どうしてもしたくないようです。
私は、歩けなくなってもいいのかと
父を叱りたかったのですが
妹はそれも父の選択、父が選ぶQOLだからと
言うのです。


ベッドで1日中、横になっていれば
足が弱ることも確か
なんとも選択にこまる事態になりました。


父はずいぶん弱っている感じです。
通院もかなり疲れるようだし
食欲もあまりありません。
長く続く痛みがもしや骨メタではないかと
心配になり、4月28日の消化器科の受診の時に
主治医にそのことを伝えました。
PET検査について尋ねましたが
PETをしてもね・・・という返答で
むしろ、負担を考えてCTで
検査技師にメタについてよく診るように
伝えるということになりました。
5月8日に検査結果を聞きに行ったときは
骨への転移はなかったようです。
ただ、膵臓がんは現在47ミリ
50ミリを超えると痛みが出てくるかも
しれないということで
現在の痛みが膵臓がんから来ていることの
否定もできないようでした。
そういうこともあり
とうとう
オキシコンチン5mgが処方されました。
麻薬です。
膵臓がんが47ミリって
すでにけっこう大きい。
父はあとどのくらい、自立して過ごせるのか・・・


その答えは明確にはならないまま
今を過ごしています。
実家に行くと父はソファで横になっていることが
増えたように思います。
ソファならいいのか
ベッドに寝るのは病人っぽくて
きっといやなのでしょう。


父はすでにターミナル期を生きているのか
私たち家族はそろそろ心の準備が
必要なのか
わかりません。
でも
じわじわと「その時」が
近づいているようにも思えます。


今は前を向いている父が
身体のしんどさとともに
だんだんと後ろ向きになっていく姿を
見ることは辛いと思います。


病気の家族に寄り添うことの難しさ
夫のことでかなりわかったつもりでも
父にはまた違った寄り添いが必要なのだと
感じます。
寄り添いはオーダーメイド
その人の環境や生き方
考え方によって違います。


今日も祈りのうちに

住宅改修準備

昨日の午後
包括センターの方が
介護認定前ではあるけれど
準備のために住宅改修のため
住宅を見に来ました。
シニア向けの住宅改修業者さんと
ケアマネさんも一緒でした。


夫はリハビリの先生2人につれられて
杖を使いながらゆっくり歩いて家まで来ました。
(普通の人が歩いても3分くらいの場所に
施設があります)


まずは玄関ドアまで階段が2段ほどあります。
そこをクリアすると玄関から家に上がる時に
1段あがらなければなりません。
健常者の私たちは
上がりかまちと呼ばれるその1段を
何の意識もなく通り過ぎますが
夫は靴を脱いで上がるその1段が難しい。


リハの先生が何度も座って靴を脱ぎましょうとか
壁を向いて座りましょう、と指示をだしていても
夫は多くの人に見られている緊張もあるのか
その指示が聞こえてないのか
指示通りできません。


靴を脱いで家に入ることが
こんなに難しいんだ・・・と思いました。


食事をする椅子に座ったり
トイレまで歩き
その1連の動作を先生とシュミレーションしながら
どこに手すりがあるといいかなどを
決めました。


トイレの次は浴室で同じように
シュミレーションしていました。


さいごにベッドに座り
ベッドの高さなど調整していました。


約1時間ほどかかりましたが
夫はすごく疲れてしまいました。


途中、包括センターの福祉士さんと
ケアマネさんが夫と質問を交えて
話をしていましたが
夫はうまく話すことが出来ないと言っていました。
ふたりはお話伝わっていますよ、と
とてもやさしく対応してくださいました。
夫は、そのことが嬉しかったようで
頭を下げてありがとうございます、と
手も合わせていました。


住宅のことが終わった後
施設でケースワーカーさんと
外の相談支援部から相談員さんが来て
退所前の評価などを話し合いました。


相談員さんは介護が決まれば
そちらが優先となり
リハビリと入浴を中心にしているデイケアを
利用したり
住宅改修も介護保険では20万までになるので
超える部分はたとえば外の手すりなどレンタルを
しながら、本当に必要な部分だけを
改修する方がよいとアドバイスしてくれました。
案外、あれこれ手すりなどつけて
かえってジャマになることもあるそうです。


障害の方では
移動支援は使えるので
そちらを利用しながらリハビリや外出など
考えていきましょうということになりました。


連休最終日に大学病院で
アバスチンの治療があります。
その後、12日に施設に戻り
24日には退所となります。


在宅までカウントダウン


今日も祈りのうちに