祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

再び霧の中

再発がわかって

最後の予定だったニドランから

アバスチンに変えて

新たな化学療法が始まりました。


大学病院を1週間遅れの31日に退院し、

療養病院の入院生活に戻りました。

アバスチンは、主治医の先生から聞いた通り

ニドランの時のような食欲減退もなく

倦怠感も特にはみられません。


薬剤師さんからは

とりあえず血圧チェックだけは

最低1日おきにはするように

あとは、足に血栓などがないか

足のむくみの観察をするように

言われていますが

今のところは大丈夫そうです。

突然の高血圧症状の出現も

長い期間がたっても要注意なのだそうです。

血管に働く薬をものがたっているようです。


さて、

大学病院の主治医の手紙をもって

療養病院の主治医とMSWと

待機中の高次機能障害者支援ホームへの報告について

話し合いました。

当然、再発のことを隠しておくわけにはいかないのですが

再発とは言えど、これまでと変わらず生活できていて

在宅に向けての機能訓練を必要としているのだから

入所にあたり、問題はないと

ドクターの意見として報告することに

なりました。


それに対する施設からの回答は

受け入れ可能とのことで

待機継続となって

とりあえずほっとしていたのですが

木曜日に再度MSWから

施設の担当者が上司に報告したところ

再発であれば受け入れできないという

こたえがきたと言われました。


MSWの担当者さんも

現状を説明し

2つの病院がバックアップするし

本人と家族が前向きになっているので

なんとかできないか、くいさがってみたそうですが

なんともならずということでした。


夫には、もう少し言わずに

いましょうと言われて

もちろん、新しい生活に心を向けている夫に

言える訳がなかった


何より私自身が納得できず

ある種の差別的な感覚を覚えていました。

気分がふさぎ、疲れもあり

その晩は、考えているうちに

寝落ちしてしまいました。


朝になって

このまま黙っていていいのだろうか

今、何か自分にできることはないだろうか

と思ううちに

大学病院の主治医の先生が

私達のQOLのためにできることがあれば

手紙を書くとかしますので、と言っていただけた

言葉を思い出し、朝9時を待って

大学病院の相談室に電話をしました。


あいにく、担当のMSWさんが週明けまで

不在でしたが

私は電話に出たMSWさんに

とにかく説明を聞いてもらい

主治医から聞いていた言葉も伝え

力添えをお願いしました。

施設は他にも待機者がいると思うし

急いでいるとも伝えました。

そして、大学病院のMSWからも

施設に電話するからと担当者の名前を聞かれました。


なんとしても、黙って終わりにはできなかった

脳腫瘍の患者のことをもっとわかってほしい

病気は完治するものではなくても

質のある生活をする権利は必ずある

脳腫瘍=死 ではないのだ

心の中で、ずっとそのことを考えていました。


お昼すぎに施設の担当者から連絡があり

この度のことは、再発ということで

入所はなしになったと言われて

私は精一杯、自分たちの気持ちと

現状変わりなくすごしていること

何より本人がようやく前を向いて歩こうと

していること

ここまでくるのにどんなに時間と苦しみが

あったか

伝えてみました。


担当者さんもよく聞いてくれて

8月末に大学病院で2回目の治療後に

主治医の先生からこのさきのことについて

聞くまで、待ってもらえることになりました。


療養病院のMSWにそのことを伝えたら

家族の力だろと言ってガッツポーズ


8月末、アバスチンが効果を発揮していて

くれることを

ただひたすら祈ります


土日に、夫が長いこと楽しみにしていた

旅行に行ってきます。

大学病院の先生も療養病院の先生も

ぜひ行って来てくださいと

許可もおりています。


自然の恵みをたくさん受けて

今日も祈りのうちに