祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

在宅生活5日前

来週からの在宅生活のために
いまは大急ぎで色々な準備中です。


最大の悩みは
お部屋の片づけ、動線づくりなのですが
これがいっこうにすすみません!


2年前の5月19日
手術をするために大学病院に入院しました。
この時はもちろん歩いて
言語に障害は出ていましたが
全体的には健常者の身体でした。
手術の日までは
面会から帰る時も出口まで送ってくれていた。
そんな日がありました。


ようやく在宅になるので
これまでのこと、もう一度記録にまとめます。


2016年5月連休中に言語がおかしくなる
同年5月6日 初診
自分の職場の病院→地域の総合病院
数日後に地域の総合病院から大学病院へ紹介・受診
5月19日 大学病院へ手術のため入院
手術の日まで、覚醒下手術のための訓練
5月30日 覚醒下手術 (9時~21時半くらい)
5月31日 HICUにいた夫は右半身ほぼ動けず
その後は放射線治療や治験薬(ニボルマブ)の治療
治験はアレルギー(薬疹と高熱)にて中止
テモダールも内服で使っていたので
アレルギーを疑いニドランに切り替えた
同年8月にニドラン1回目の治療
同月末に大学病院を退院、同時に療養病院へ入院
6~8週間に一度のニドランの治療のために
大学病院へ入院、再度療養へ戻るを繰り返しながら
2017年4月頃から療養の退院計画をはじめる
同年6月にはリハビリ訓練施設である
高次脳機能障害支援ホームへの入所がほぼ決定し
入所待ちをしていた
同年7月の大学病院での治療の際に
「再発膠芽腫」となる(再発)
その時から薬をニドランからアバスチンに変更
再発の送りにより、施設入所を一度は断られる
なんとかかけあって、8月の治療の際に
再発病巣が良くなるかによって入所を決めたいと
いうことを言われる
同年8月アバスチン2回目治療入院
そのときに再発部分は小さくなっていた
経過良好ということだが9月3回目の様子を見てから
施設入所の許可が出ることになる
同年9月アバスチン3回目治療入院
経過良好により施設入所の許可がおりる
同年10月療養病院退院、同時に施設に入所
7か月間の予定
2018年5月24日施設退所日となる
そこから在宅生活になるため
現在はプラン作成中


この間に色々なことがありました。
全てを受け入れてこられたことが不思議です。


さまざまな問題に直面し悩みました。
まずは大学病院を退院するとき
在宅生活になるために必要と言われた
介護ベッドや入浴用椅子、
また、本人に使うための補装具
すべてを考えもせずに用意していたら
いったいお金がいくらかかっただろうと思います。


その時は介護ベッドを購入することや
レンタルすることをネットで調べ
問い合わせもしました。
結果的には、母のケアマネさんが
介護と同じくらいの料金でレンタルできる業者さんを
紹介してくれたので、とても助かりました。
ベッドは購入しても不要になった際の
処分が大変だし、身体の状況に合わせて使うなら
だんぜんレンタルがいいと思います。
補装具は当時大学病院のリハの先生に
強く勧められましたが
長く使えるかはわからなくて
やはり、身体の状況によるということだったので
本人と話し合って作りませんでした。
その時に作っていたら、たぶん自費かまたは
3割負担でした。
後になってから施設のリハの先生に勧められて
作ることになりましたが
その時はすでに障害手帳も持っていたし
健保と福祉と両方から還付があるので
靴代だけで済むことになりました。


たくさん考えてたくさん悩み
答えを出しながら歩いてきた道


状況の受け入れはすべきですが
その都度、考える必要はあると思います。


行政の手続きはなんでもすぐすぐには
処理されません。
それまでの間をどうしていくか
手探りでやってきましたが
あの時こうしなくてよかったと思うこと
たくさんあります。


もし、同じ病気で悩んでいる人がいたら
多くの場所、多くの人に聞きながら
大変だけれど考え行動することを勧めたいです。
夫が働けなくなること自体が
家族への経済の影響が大きいのですから。


今回、在宅になることの不安はありましたが
今は、プランを考えることも
たのしくなってきました。
「できること」は探せばきっと
出てくるはずです。
あきらめないで、家族は
「大変さ」よりも「楽しさ」を
探せられたら幸せだと思います。


今日も祈りのうちに