祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

ホスピスというところ

膵臓がんの父の記録


日々弱々しく見える父のことを考えて
2か所目のホスピス見学をしてきました。
1か所目と同じく、父の通う病院と同じ市内の
病院からも近いところです。


父の通う病院はいわゆる
「病院街通り」と言われているくらい病院が
集まっていて、すぐの距離のところに
ホスピスが3件あるのです。


2か所目に見学したホスピスも
1か所目と同様にキリスト教の病院です。
あらかじめ連絡してアポをとっていた
ソーシャルワーカーさんに約束の時間に会い
父のことについて質問をされたり
ホスピスについての説明を受けたりしました。
そのあと見学させていただきました。
1か所目のところのソーシャルワーカーさんとは
1時間くらいお話をしましたが
今回は早いペースでのお話で、すぐに見学となり
見せていただいた病棟は1階のお庭に面したお部屋でした。
ふつうのおうちのお庭のような感じになっているのですが
何故だか、私には寂しい感じに見えました。


いただいた説明の用紙にも
「死ぬ場所ではありません。どんなふうに良く生きるかの
場所です」とあったのですが
それ以外にも治療的なことは何もしません、とあったり
看護師は独り占めできません、とも書いてあったことなどの
印象が良くなかったのか
孤独な人が来る場所のように見えてしまいました。
強い意志を持った孤独な人が
もう治療はしないと決めて、最期の日を待つ場所
そんなふうに思えてしまいました。


1か所目に見たホスピスと何がちがうのか・・・


逆にこの日に行ったホスピスの方が
本人が望めばすぐにでも入れるような感じはありましたが
あくまでも本人が望めばということだと言われ
家族の気持ちに寄り添う感じがあまりなかったのか・・・
また、100人の待機者がいたと仮定すると
90人はいますぐの人ではなく
10人が今すぐの人で、いますぐではない90人には
ベッドの空きが出ても声はかけないというのです。
あくまでも本人が希望してきてからのこと、という説明でした。


ホスピスの入院は本人の希望であることはわかるのですが
その説明が家族の気持ちはどうでもいいみたいに
聞こえてしまったのかもしれません。


そこのホスピスを出て車を停めていた駐車場まで来た時に
妹と、「どうする?」と話したら
妹も私と同じ気持ちだったようでした。


私たちは1か所目のドクター面談で
登録できることになったらそこを待とうという意見で
一致しました。
1か所目のホスピスには、こんなふうに書いてあるのです。


ホスピス・緩和ケアでできること
ホスピス・緩和ケアでは手術・放射線・抗がん剤など体から
がんを取り除く治療は行いませんが、がんによって
引き起こされる”辛さ”を取り除く(緩和する)ための治療や
ケアを行います。飲み薬や点滴などによる治療はもちろん、
心を込めた看護や介護、補助療法などで心地よく過ごして
いただくことは、人の心身の辛さを和らげる大きな力を持っています。
お金や生活上の困りごとでお悩みの場合は、その解決に向けて
医療ソーシャルワーカーがお手伝いします。
(途中略)
何が”緩和”に繋がるか、常に患者さまや近しい方と話し合いながら
その想いに寄り添い、より良いと思われる方法を実践すること、
これを「緩和ケア」「緩和治療」と呼んでいます。


この文章を読むだけで、とても安心感があるのです。


同じキリスト教のホスピスでも
やはり、見学と面談してみるべきだと思いました。


父は昨日の診察で主治医からホスピスへの
診療情報提供書をいただいたので
明日、1か所目に行ったホスピスでドクター面談に
連れて行こうと思います。


今日も祈りのうちに