祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

敬意と祈り

父が(天国へ)引っ越した後
母に代わって妹と二人で
実に様々な手続きをしています。
こんな面倒で大変なことを
もし、残された家族が高齢者だけだった場合
親切に手伝ってくれる(もちろん無料で!)
行政ってあるのでしょうか・・・


と、こんなことを考えながら
毎日仕事帰りに実家へ行き
父の写真に話しかけ
母をなぐさめながら実家の手伝いをして
夜遅くに自宅へ帰り
夫の夕食を出すという生活をしています。


父の帰天は9月でしたが
8月に大いなる人物である沖縄県元知事
翁長氏も膵臓がんのために永眠されました。
7月まで県民のためにつくし
外ではしゃんとした姿を見せながら
自宅では玄関から自室へたどる廊下を
歩くことすら大変だったということでした。


また、「末期がんでも元気に生きる」の著者
石弘光氏も8月に膵臓がんのために
永眠されていました。
父は石氏の本を読んでいて
前向きな気持ちをもって
一度は抗がん剤治療を受けたのかもしれません。


8月21日に電話が鳴り「緩和ケアに入ることになった」
「もう原稿は書けないな」
「今まで好きなように生きてきたから、悔いはない。
楽しい人生だった」と話され、「書きとめた原稿がまだあるから、
今後のことは家内と相談してください」
(記事より)
このように、さいごに話されたそうです。
父の言葉を思い出します。
本を読むのが好きだったもと編集者の父は
亡くなる直前まで、よく行く本屋で
定期購読の「日経サイエンス」を
私たちに受け取りに行かせて
最新刊の「ホモ・デウス」を注文するようにも
頼まれて、やっと入荷したので
病室に持って行った9月初め
本のページをぱらっとめくってから
「残念だけどもう読めないな」と
私たちに言いました。
妹は父のお棺にこの本を上下入れていました。
天国で好きなコーヒーを飲みながら
読んでいるのかな、と思ったりします。
石先生と同じように
「今まで楽しかった、ありがとう」と
さいごの数日前に緩和ケア病棟から
母に携帯電話で話していました。


大いなる人たちに敬意を示し
祈りたいと思います。


父は8月28日の日付で
メモ書きのように、相続のことなどを
書き残していました。
でもその頃はもう字を書くことも
しんどい頃だったので
私たちは短いメモから父の謎かけのように
のこした言葉を考えながらの
今を過ごしています。
昔から簡単に答えを出してくれない父でした。
妹と二人で、この謎解きをしているのです。
答え合わせはしてもらえないので
間違えのないように
父の遺志を解読しないと・・・


今日も祈りのうちに