祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

疲れた心

父とのお別れ以来

実家に毎日寄って、母に会っています

母は、いまだに父との別れの時を

さいごに見た顔が忘れられない

何を言いたかったんだろうとか

受け容れて時を消化できていないようです。


週末は土曜日曜と実家の手伝いをして

週末のお休みが過ぎ去ります

自分のための時間はほぼなくなり

帰宅して夫の食事の用意をすると

たいていソファで寝落ち

そんな日々が続いています。


来月初めに夫の検査入院があります。

いまは、またもう一人

重篤な家族を看ることは

重荷すぎてできそうもない

ましてや、もしもまた家族の看取りが

あるとしても

今すぐには心が疲れ過ぎていて

つらすぎる

なので、夫にも母にも

まだまだ元気でいてほしいです。


そんな疲れた心を持つあまり

昨日は母にきついことを

言ってしまいました。


家に一人でほとんど引きこもって過ごす

母のことを心配して

土曜日を一日中使ってデイサービスの

見学に3件行きました。

そのうち2件は母にも私にも

ちょっと違うかないう気がしたのですが

1件は、決めてくれたらいいのにと思い

母にも尋ねるとそうね、と返事してくれて

ケアマネさんにも連絡したのに

夜になってからやはり行きたくないと

言い出しました。


私が電話で母に

もう好きにしてと言っている声を聞き

夫がその言い方はひどいよと

言いました。


父から母のことをよろしくと

頼まれていることを思うと

母には早く元気に前を向いて

生きてほしいのです。

夫が病気を受け容れて前向きになって

くれるまでも

そこに寄り添うことは本当に大変でした。

母のスピリチュアルペインは今もまだ癒されず

物語の書き替えはできていないのでしょう。


スピリチュアルケアを勉強してから

スピリチュアルケアワーカーの夢を持っていましたが

すごくつまづいています。


今こそ祈りに助けられたい

大切な人をなくした人のために

また、病気で苦しむ人のために

今日も、祈りのうちに

敬意と祈り

父が(天国へ)引っ越した後
母に代わって妹と二人で
実に様々な手続きをしています。
こんな面倒で大変なことを
もし、残された家族が高齢者だけだった場合
親切に手伝ってくれる(もちろん無料で!)
行政ってあるのでしょうか・・・


と、こんなことを考えながら
毎日仕事帰りに実家へ行き
父の写真に話しかけ
母をなぐさめながら実家の手伝いをして
夜遅くに自宅へ帰り
夫の夕食を出すという生活をしています。


父の帰天は9月でしたが
8月に大いなる人物である沖縄県元知事
翁長氏も膵臓がんのために永眠されました。
7月まで県民のためにつくし
外ではしゃんとした姿を見せながら
自宅では玄関から自室へたどる廊下を
歩くことすら大変だったということでした。


また、「末期がんでも元気に生きる」の著者
石弘光氏も8月に膵臓がんのために
永眠されていました。
父は石氏の本を読んでいて
前向きな気持ちをもって
一度は抗がん剤治療を受けたのかもしれません。


8月21日に電話が鳴り「緩和ケアに入ることになった」
「もう原稿は書けないな」
「今まで好きなように生きてきたから、悔いはない。
楽しい人生だった」と話され、「書きとめた原稿がまだあるから、
今後のことは家内と相談してください」
(記事より)
このように、さいごに話されたそうです。
父の言葉を思い出します。
本を読むのが好きだったもと編集者の父は
亡くなる直前まで、よく行く本屋で
定期購読の「日経サイエンス」を
私たちに受け取りに行かせて
最新刊の「ホモ・デウス」を注文するようにも
頼まれて、やっと入荷したので
病室に持って行った9月初め
本のページをぱらっとめくってから
「残念だけどもう読めないな」と
私たちに言いました。
妹は父のお棺にこの本を上下入れていました。
天国で好きなコーヒーを飲みながら
読んでいるのかな、と思ったりします。
石先生と同じように
「今まで楽しかった、ありがとう」と
さいごの数日前に緩和ケア病棟から
母に携帯電話で話していました。


大いなる人たちに敬意を示し
祈りたいと思います。


父は8月28日の日付で
メモ書きのように、相続のことなどを
書き残していました。
でもその頃はもう字を書くことも
しんどい頃だったので
私たちは短いメモから父の謎かけのように
のこした言葉を考えながらの
今を過ごしています。
昔から簡単に答えを出してくれない父でした。
妹と二人で、この謎解きをしているのです。
答え合わせはしてもらえないので
間違えのないように
父の遺志を解読しないと・・・


今日も祈りのうちに

MRI検査(2018年9月)

父の葬儀の翌日(9/20)は
夫が大学病院に検査入院する日でした。
7月に10回目のアバスチンをさいごに
2~3カ月ごとのMRI検査のみに
なっていました。
経過が良いので、アバスチンによる
たんぱく尿や高血圧の副作用が
現れないうちに少しお休みして
再発時に、すぐにアバスチンを使えるような
体調にしておくという先生の計画です。


22日に退院の日にICがあり
いつものように画像を見ながらの
先生からの説明がありました。
1度再発の時は、ICの前に
MRI検査の日のうちに電話が合ったので
とりあえずMRI直後に病院から電話が
かかってこなければ大丈夫、みたいに
思っていました。
検査の日の夜に、入院中の夫から
先生からは異常なしと言われたとラインが
あったので、安心していました。


先生はいつも前回の画像と今回の画像を
両方出して、変化ありなしを
説明してくださいます。
今回も初めは変化は特にないという
説明だったのですが、先生は画像を指さして
ここに少しだけ影があって
ほとんど見落としてしまうようなものだけれど
次回はもう少し時間をかけて検査したいので
2か月後、1週間の入院を提案されました。
もともとは検査だけなら外来ですむことなので
次回は3か月後の外来だと思っていましたが
そういうことならもちろん先生の
提案を受けました。
その時には、リハビリ評価などもしますと
言われました。


万一、2回目の再発ということであれば
①再度、アバスチン
②放射線(サイバーナイフ)
③摘出
④エリブリン(脳腫瘍では治験)
ということが治療として考えられる
②に関しては、他の病院へ行っての治療
(ここの大学病院ではできないため)
③に関しては、さらにQOLダウンの予測がある
④に関しては、エリブリン治験薬は、すでに
ハラヴェンという薬で乳がんで使われているもので
脳腫瘍では治験段階ではあるが、他の病気で
使っているという安全性があるもの
①の再度アバスチン投与は、体調的には
問題なしということでした。


今の段階ではかなり小さな影なので
再発かどうかは判断できない
次回は消えているかもしれないので
もう一度2か月後に撮影するということでした。


治験と言えば
2016年に膠芽腫G4と診断されて
術後にニボルマブの治験を受けました。
ニボルマブはオプシーボのことですが
このたび、このお薬の発明にいたったもので
ノーベル生理学・医学賞を受賞されたのが
京都大の本庶特別教授でした。


あいにく夫はこの治験はアレルギーのために
中止となってしまいましたが
このような研究者の方によって
多くの癌患者さんに希望が生まれますように
祈りたいです


夫の脳腫瘍(膠芽腫)も
父の膵臓がんも、治らないといわれている病気


そのような病気が
完治される日がいつか来ますように


今日も祈りのうちに