祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

虚しさとの闘い

今から30年近い前のことになりますが

とても大切だった友人が

若くして乳ガンのリンパ転移で

先に旅立ってしまいました。

その時に感じたことは

友人と私の間で過ごした楽しかった時間を

分かち合える人がいないということに

とてつもない寂しさを覚えた記憶があります。


夫と過ごしてきた時間も

子供たちのいない時期が長かったし

二人でいた時間を分かち合えるのは

夫しかいない

この人がいなくなってしまったら

思い出はひとりだけのものとなって

しまうのだ


澄み渡る空を見て

あの日一緒に見た空に似ていても

寂しすぎる日没の時間に

遠い昔に暮らしていた丘の上のアパートから見た

夕暮れを思い出しても

夫がいなければ

一人、心の中で思い出しても

言葉にはできない


それよりも

たとえ今どんなに寄り添いつくしても

半年後、あるいは1年後には

夫の記憶から消えてしまうかもしれません。


カトリック信者なら

愛と慈しみは捧げるもので

みかえりを求めないものです。


それでも弱い私は時々虚しさと

闘っているのです。


夫が元気な頃は

私達はそれぞれに

自分の時間を過ごすことの方が

多くなっていたのに

どうして今は一緒に過ごした時間ばかり

思い出されるのでしょう。


今日は久しぶりに昼間一人の時間を

好きなお店を見たり

何か美味しいものをいただこうかと

思っていたのに

いつの間にか夫のためにアロマグッズを見たり

一人でお食事するきにもなれずに

ただただ、自分ばかり自由に足を使って

好きな場所へ行かれる自由が

うらめしく感じてしまいました。


自分の心がばらばらな

感じです。


今日も祈りのうちに