祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

最終連絡待ち

3日火曜日、施設の面談に行ってきました。

午後2時半だったので

私は半休をとり、お昼から夫を連れて

一緒に外食ランチをしました。

夫のリクエストで天ぷらのあるお店へ

天丼を頼みました。


ゆっくり食後のコーヒーをいただき

施設へ向かいました。

施設に着くと、福祉事務所の担当さんが

先に着いていました。

すぐに食堂で面談

施設の相談員さんからの病気発症からの

経緯や今の状態の質問

この時、夫が持ってきていた質問メモの

ノートを見た相談員さんが

その字は左手で書いたのですかと

たずねました。

そうだと答えたら、利き手ではない左手で

ここまで書けるようになったことを

すごく褒めていただきました。

私はここまでの長い道のりを思い

胸がいっぱいになりました。


そのあと生活相談員さんからの

生活面の質問

次に看護師さんからの身体の状態や

薬管理などの質問

さらに栄養士さんからの食事や

間食や好きな食べ物などの質問がありました。


その後、場所を移して

リハビリ室でリハビリの先生が

色々な身体の動き、同名半盲のチェックを

時間をかけてしてから

もう一度看護師さんが皮膚などのチェックを

していました。

次に作業療法士さんが質問の書いてある用紙に

こたえを書かせました。

住所や名前などの簡単な質問でした。

口頭で排泄の自立や身の回りに関することを

聞かれました。

施設では、洗濯なども自分ですることを

説明されました。

家族にたのんでもいいかとの夫の問いには

洗濯もリハビリなのでしてくださいと

言われていました。


2時間くらいかかって終了し

会議にかけてだいたい2週間くらいで

連絡があると言われました。


この施設には

ずっと入所して生活している人が20人

一時的に1年くらいの自立支援目的の人が30人

夫は後者の方ですが

こちらの利用者にも最終的に帰る場所が

家族のいる家庭であったり

独居の生活であったり

あるいはグループホームであったり

様々なのだそうです。


この施設、かつては授産所だったそうです。

授産所について調べてみると

障害を持った人たちへの行政の支援の歴史が

見えてきます。

社会福祉士の勉強中の妹の説明によると

障害者支援が本当の意味で考えられてきたのは

歴史的に浅く、まだまだなところが

たくさんあるそうです。


夫が入所予定の施設も

東京都には1つしかないそうです。

実際にはもっと必要なのではないかと

思います。


夫のように病気や事故で

突然、不自由な人生となった人が

ひとりでも多く

希望のある生活を送れるような支援を

受けられる社会になってほしいです。


あきらめない人たちのために

今日も祈りを捧げたい