祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

もう一度、かえりみる

母の闘病記録


昨日、東京は雪の日でした。
実家の軽自動車は、12月早めに
新しい冬タイヤに履き替えていたので
今朝は娘をバイト先まで送って来ました。
さすがに急坂のあるいつもの道を避け
速度もゆるめで運転


その後9時過ぎには
母の訪問看護師さんが来て
今日から訪問看護体制を整えることに
なりました。
本当に良い方です。
私たちがなかなか答えを出せずに
2人の考えがまとまらないことも伝えると
年末も数人の方のお看取りがあった
朝起きると眠るように旅だった方もいるし
さいごまで苦しい中で旅だった方もいた
私たちの母がどんなさいごになるのかは
わからないけれど
これだけ家族で手厚いケアをしているのだから
どんなさいごでも母は幸せだと思うと
言っていただけました。
私は泣いてしまいました。


家が好き
家族といたいという母には
家にいての身体のしんどさは
そこまでどうしようもない辛さにならないのかも
しれません。


看護師さんはなんでも遠慮なく連絡して
大丈夫、これは先生も同じですと
言ってくれました。


すごい!訪問看護ってすごい!
在宅でのこんな恵まれた環境って
初めてです。


私たちのケアについても
すごく評価してくれました。


看護師さんが帰った後に
私たち姉妹は再び火花を散らしてしまったのです。
妹は、私の精神状態が悪く
自分の心が整理できていないことに
問題があると言うのです。
たしかにそうかもしれない
でも、妹は大切な人を亡くしたばかりの私に
どうして労りがないのだろうと思うと
瞬間的に憤りを感じてしまい
持っていた計量カップを
投げてしまいました。
それで妹も火がついてしまい
カウンターにあったものを投げて
私のバッグを玄関に持っていき
もう来なくていいと言うから
私にお母さんのことをみさせてはもらえないのかと
言うと怖い顔で出て行けと言わんばかりに
私を押し倒しました。
私は階段から落ちて
子供のように大声で泣きました。
母のところに行って泣きたいくらい
いじめられた子供のような気持ちでした。


妹は2階の自室へ行ってしまい
私はひたすらリビングのソファで大泣きして
散々泣いてから、心がスッキリして
泣き止んだころに
トイレの母が杖を叩いて呼んでいるのに
気がつきました。
行くと、母は失禁していて
赤ちゃんのように、お世話を待っています。
私は、母に手が冷たいの、ごめんねと言いながら
新しいリハパンに替えました。
母にもきこえるくらいの争いでしたが
母は何事もなかったように
私に助けを求めている


こんなに幼子になってしまった母を
私から遠ざけることをしないでほしい一心で
私は妹に謝罪の言葉を書き残して
いったん外出しました。


もういい
妹が思うようにしても
何も言いたくない
争いには何の花も咲かないし
誰も幸せになれない
なによりも天国にいる父が悲しみます。
私はそう思うと、不思議と落ち着いて
祈ることを思い出せたのです。


必ず神様が
私たちを正しい道へ導いてくださる


この素晴らしい訪問医療を
信じて行こう
夫の時は、この先生と契約した日は
二度と家に戻ることのない入院の
2日前でした。
もっとたくさん関わりたかったと
夫の亡き後に思ったことが
今実現されているのです。
このことに感謝をしないと
この先生との出会いをくれた夫にも
感謝しないと


なんとも恥ずかしい家族の出来事でしたが
記録のために残しました。


今日も祈りのうちに