祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

父に会いに

かつて父の最期に闘病記録を
少し書いたので、今日は父のことです。



お父さん
やっと会いに来ました。
広島は遠いけれど
この被爆したお墓
できる限り守りたいです。


戦争の惨劇と喪失で
全てをリセットしないと
生きる力は生まれてこなかった
あの時代
私はお父さんがどんな思いで
友人や慣れ親しんだ小学校や
そして自分の家を失い
さようならも言えずに
生きる場所へ向かった夏の日のこと
お墓の前で、思いめぐらしていました。


私も夫の突然の病気で
家を失うことになったけれど
その何十倍も何百倍もの
喪失感と悲しみがあったことでしょう。


家を大切に思っていたお父さん
私が手ばなすことになった家も
一から一緒に設計に関わってくれて
私の好きなミモザの木を植えてくれた。
娘の3歳の誕生日には
もっこうばらのアーチをプレゼントして
くれました。
庭の花壇には何種類もの
クリスマスローズを植えてくれて
忙しかった私がお手入れしなくても
毎年早春の頃に約束のように
咲いてくれました。
ミモザ、バラのアーチ、クリスマスローズ
そのほかの数々のお花
幸せな家を設計してくれたのは
戦争で家を失った体験があったから
私たち姉妹に何としてもひとつずつ
家を残したかったのですよね。


亡くなる1年前に
そんな私のために
新しい家を一緒に探してくれました。
何軒もみてまわっていた頃
もう身体がしんどそうでした。


そのことを思い出すと
今でも涙が出ます。
私、一生懸命生きている
病気の夫、2人の子供
十字架は、果てしなく重いけれど
お父さんの支援で、こうして屋根の下
生きていかれる今があります。


私は、親として
子供たちにそんな力はどこにもありません。
それを見抜いていたのでしょう
5人の孫にも公平に残してくれたものが
あります。


さいごのホスピススタッフからも
偉大なお父さんと呼ばれていました。
さいごまで自分らしさを
失うことなかった病床での父が
偉大なお父さんとして見えたのかな。
何も恩返し出来なかったけれど
一緒に病院へ通った道で見た
水仙の花たちが今年も咲いていました。
病院への付き添い、ホスピスに行ってからは
毎日の面会
毎週末の帰宅外泊の送迎
その時間を共有出来たこと
とても幸せでした。
さいごになった帰宅外泊で
病院に戻る日、嵐でしたね。
父は、もうひっきりなしに
オキノームのレスキュー薬を
服用したがった。
私も妹も、見ていられなくなり
いつもより早めに病院に戻ることを
すすめたら素直に従ってくれました。


自分でもこれがさいごの
家で過ごす時間だとわかっていた父でした。


辛く苦しい時間だったことと
思います。


偉大なお父さんに
感謝を捧げたお墓参りでした。


また、来ます。
できれば夏に灯籠を供えに
訪れたいです。
待っていてくださいね。



感謝と祈りのうちに