祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

マリアさまとともに

夫は、目を覚まして
もう一度呼吸をすることは
ありませんでした。
22時から私たち家族は
ほとんど会話もなく過ごしていました。
妹には連絡して、着る物の用意をお願いし
所属教会の神父様には長男が連絡をして
すぐに来てくださることになり
看護師さんは特別に身内という様子で
どうぞと言ってくれて
司祭とともに臨終の祈りを捧げて
私たちはご聖体拝領もしました。
神父様が退室して、しばらくすると
看護師さんが来て、そろそろ1時間なので
先生に診察、よろしいでしょうかと言われて
少しすると、当直の先生がやってきました。
聴診器をあてて、ゆっくりと瞳孔を見て
一歩下がって腕時計を見て
「10時57分、ご臨終です」と
看護師さんと一緒に頭を下げました。


その後は看護師さんが
「これからお身体をきれいにしますね
だいたい2時間くらいみてください」と言い
ちょうどよく妹がさいごに着る服を持って
やってきました。
いつも着ていたグレーと白の
ブロックチェックのリネンシャツと
チノパンツと白の靴下


いつかシスターが死は日常の中にあるものと
言っていたことを思い
普段着での旅立ちにしました。
特別なことはしない
全てナチュラルで、尊厳あるさいごに
したいという思いは叶ったと思います。
さいごに酸素はつけましたが
それ以外のものは、モニターすらも
使わなく過ごさせてもらえた
緩和ケア病棟では本当にちょくちょく訪室して
くれていました。
さいごのさいごまで患者ファースト
尊厳ファースト
呼吸がとまってからは、家族水入らずの時間を
作ってくれて、その前にきちんと
酸素や、体交枕は、跡がつくといけないのでと
はずしてくれました。


私たちは妹も、家族室で待機し
エンゼルケアに2時間もかかるのかな
すごく丁寧にしてくれるんだなって
思いながら、長男がデイルームの自販機で
みんなにコーヒーを買ってきてくれたので
コーヒーをいただきながら、少し話をして
過ごしました。
長男が、葬儀屋さんとか夫の弟に
連絡をしてくれました。


12時半すぎくらいに、呼ばれて
病室へ行きました。
夫は本当にやすらかな優しい顔でした。
看護師さんが、ほのかにアロマの香る
濡らしたタオルを渡して
手を拭いてご家族でロザリオを組ませて
あげてください、と言い
子供達と交代で手を拭き、ロザリオを持たせて
足も拭いて、靴下もはかせてあげました。


お迎えの車が来て
ストレッチャーに乗って白い布に包まれた夫に
看護師さんが、ひまわりのミニブーケを
添えてくれました。
このホスピタリティには
父の時にもとても嬉しかった


そして深夜帯でも外までお見送りもして
私たちもまた時期が来て茶話会などできるように
なったらお知らせくださいと言って
ご挨拶をしました。


夫はいったん葬儀屋さんと行き
朝には教会へ連れて行ってもらうことに
なりました。
信徒ホールのお部屋に安置させてもらうことに
決めていました。


私たちは車で家に帰り
時間はすっかり深夜でした。
帰り道の空には、大きな下弦の細い月が
上り始めていました。


夫は天国へ先にお引越しを
しました。
わたしにはどんな道中かわかりません。


「主よ、みもとに近づかん」という
讃美歌320番を思い、そして
聖母マリアの祈りのごとく
死を迎えるときも、マリア様は
そばについていてくださると信じています。


こんなに幸せな顔になった夫を見て
私は、できることを捧げたのだと
今は何も後悔はありません。
時々、冷たい態度もとった
でも、みんな正直な私そのもの
5年と3か月、闘病生活に寄り添った日々は
全て、天に捧げた日々だと信じています。


悪性膠芽腫グレード4と宣告されて
いつこの日が来るのかという恐怖を
心に抱えながら過ごし
さいごは痙攣もなく、ほぼ静かに
眠りにつきました。


どんなさいごかとても怖かった
そのことを教えてくださった同じ体験をされた方もいて
また、本当に多くの方々にお祈りや
優しい言葉で支えていただきました。


これで物語は最終章、終わりです。


ありがとうございました。
感謝と祈りのうちに