祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

気持ちのゆらぎ

このところ、本当にどこかで
精神が壊れて行くように思えて
とても不安です。
でも、私は仕事にも行かれているし
お食事も、おやつも普通にいただいている
だから、大丈夫だと思う
先月から心療内科にかかっていますが
本当はそこまですることもないのかと
思ったりもしています。


それでも、どうしても
今度の日曜日に親戚の弔問があるので
そこに同席しなければならないことが
考えるだけで、気持ちが重い
このことが頭から離れません。
きっと妹にそれを言うと
怒られてしまう
だから私だけ遠慮したいとは言えません。


どうしよう


考えた末、やはり次の受診が30日予約だけれど
電話をして今度の木曜日に予約なしで
受診して良いか聞いてみました。
クリニックは、丁寧な対応で
木曜日の夕方に予約を変更してもらえました。


どこかに体調不良が出てしまうのです。
頭痛とか、喉の詰まりとか、緊張性の肩凝りとか
クレンチングを1日中気がつくとしていて
治療中の仮歯が欠けてしまいました。
時々ふっと気分が悪くなったり
立っていることがしんどくなったり
できれば診断書をもらって
必要な時に使えればいいかと思ったりします。


単純に更年期による気分のゆらぎかもしれないけれど
何かのひょうしに夫のいない自分の人生が
この先どんなふうに続いていくのか
将来への不安を振り払えない
仕事から帰ると家事をして
ぼーっとしたり、そのうちにうたた寝したりして
時間が過ぎてしまい、早く寝ないとと思うのです。
お風呂に入ることも、おっくうになることがある
翌日仕事だから、髪も整えてメイクをして
きちんとして出かけないとならないので
身体を引きずり起こして入浴します。


この家に越して来て4年半
夫の部屋の隣のリビングのソファで
昨年の夏まで寝ていて
夫がいなくなってからは、がらんとした夫の部屋で
寝ていました。
昨年末頃、ようやく2階の自室のベッドで
寝るようになり、断眠になるので
寝具を家で一番良い羽布団にしたり
カバーも新調して気分を変えたり
アロマの香りを使ってみたり
色々工夫しています。


今はとにかく親しい人以外は
会って話をすることが一番しんどいです。
このことをまずは妹に理解してもらえたらと
思っています。


今日も祈りのうちに

徒然なるままの記録

主のご復活おめでとうございます


満月をあおぐ
満月の日に逝ってしまった友人のことや
昨年の桜を見て、もう一度
夫は桜を見ることができるか考えたこと
1年前の生活
5月のMRIで再発を聞いたのだっけ
何度目の再発だったか
再発の怖さを忘れ、その言葉に
慣れすぎていた私
あの時も、妹からは
厳しいことを聞いた
5月のMRIで再発がわかったのに
私は先生が次のMRIの予約をいつも通りに
2ヵ月後の7月に入れたので
来月にしなくてもいいのかを聞いたら
何かあれば次は入院になると思うからと
さりげなく言われたことを
ただ心にとめておいただけだった
でも、そのことを妹に話したら
妹はもっと重い意味があるとわかっていたと
後から言われて
私に、そう思わなかったのかと言いました。


妹はいつも私に厳しい


母のさいごの介護の時も
妹のひとことひとことがとてもきつかった
妹のことが怖くてたまらなかった
私の話すことを全て否定されているような気さえ
していました。
妹は必死だったから、母の介護に
自分の全てを捧げているといってもいいくらい
すべてが母ファーストでした。


私はいてもいなくてもいい存在でした。
実際にそう言われたこともあったから


頼りない姉に呆れていたのでしょう


今日の記録は、母のことで
どうしても手紙できちんとお知らせしたいという
母の友人や親戚のことを持ち出してきたので
私は、すべての人に長い手紙を出すのは
返って相手が重すぎると思うと言ったら
そもことには少し理解を示し
2人でセレクトして12人に手紙
その他の年賀状のみのお付き合いや
ほとんど形だけのようなお付き合いになっているような
親戚などには普通のお知らせハガキにすることに
したのです。
手紙は妹が自分の言葉と自分の主語で書いていたので
私と連名にするなら、私も書き添えないとならない
ということになり、あまり気が進まなかったけれど
妹が丁寧に書いているので、
私はあっさりと1/2枚ほどで書きました。
手紙が届けば、おおかたのところからは
連絡なり、お香典などが届くことを懸念しましたが
予想通り、そうなりました。
元々、お香典を辞退することにしていて
もちろんそのことは別紙にして添えたと言いますが
そうはいかないと考える人もたくさんいて
家に来てお参りさせてほしいと言ってきた人が
2組いました。


私は今電話で母のことを話すことも
人に会って話すことも正直、きついのです。
それもあって、必要な人には手紙を書いたのに
会っておもてなしをして話をしなければならないことが
本当にしんどいのです。


誰もが自宅で看取ったことをまず
すごいねというし
それを称賛されることも正直してほしくない
静かに、そっとしておいてほしいのです。


でも、遠方から来たいという親戚に対して
妹は、わざわざ新幹線に乗って来てくれるのだからと
私に言うのです。
その上、何人来るのかわからないから
用意すべき志もいくつにするかわからない
どうしようと言うと、
母が自分は質素にしても、他人には手厚くするように
育った人だから、そこでケチなことを言うべきではないと
私に言いました。
私は、そういうことではないよ、といったけれど
返ってくる言葉が、私がケチなことを言っていると
言う感じなので、それ以上は黙っていました。


たずねたいという人の
母への気持ちには感謝したいです。
でも、大切な人を失い喪失感がまだ抜けていない人の
そっとしておいてほしい気持ちを
どうしてわかってもらえないのかと思う


やっぱり私がおかしいのかな
どこか不安神経症が出ているから?


私だったら今は気持ちの不安定さがまだあるので
お気持ちだけをいただいておきたいですと
言いたい


妹はこれからも弔問客を受けて
本当は辞退したいお香典を
相手の気持ちだからどうしてもの方は
お断りできないというのでしょう


自分だったら不幸のあった方には
そんなふうに自分の気持ちをおしつけたくないです。
気持ちの表し方は他にもあると思うから
それこそ、優しいお手紙とか
さりげなく、頃合いを見てお花をおくるとか


病気のお見舞いも
病気の自分を見られたくないから
会いたくないと思う人もいます。


とてもお世話になった方だから
何かしたいと思うときは
ご遺族の気持ちを考えてから
自分の気持ちだけを出してしまうのも
どうかと思ってしまいました。


この気持ちが妹とは180度合わない部分です。
今夜も眠れない
自分がどんどん病んでいくように
思えてしまう


記録として書きました。


今日も祈りのうちに

詩編より

今年の復活祭はちょっと遅めで
来週の日曜日です。
今日は、受難の主日
土曜日にミサあずかりました。
11月に夫の追悼をしていただいたところです。


神父様のお話は
詩編22と23より
22はなげきの歌
キリストが十字架上で
神様にその苦難を訴える詩です
絶望と苦難と迫害
そして23は感謝の歌
教会ではよくうたわれる詩編です
神様が私たちに求めている最も重要なことは
「平和(シャローム)」
これを実現するために必要なものは
「平等(公正)」と「誠実(義)」
でも人間はこれらを見失いがちなため
平和=神様から離れてしまう時がある


今、戦争をしている国
人々が平等と誠実を取り戻し
ひとりひとりの存在(いのち)が
神様のかけがえのない宝だということを
思い出せるように祈ります。


母の介護の日々から
私は妹が怖くて、心が砕けていました。
でも、それが妹の母に対する強い思いからくるもので
私はそのことを受け入れていくべきだった
必死についていくのが精一杯で
いつも妹のきつい言葉がしんどかった
それは私がいつも自分の都合中心で
母の気持ちファーストではないと
言われ続けたことでした。
次第にそのことを振り返るうちに
私は夫に対してひどいことをしてしまったという
罪悪感にとらわれるようになりました。
高次機能障害でコミュニケーションが難しかったこともあり
自分で決めていたことがたくさんあったから。


眠れなくなり
食事はできても、喉の詰まり感で
いつも気持ちが悪い
そんな日々になってしまいました。
それで2週間前に心療内科を受診しました。


気持ち的にはまだまだですが
先生はゆっくりでいいですよ、と
言ってくれました。
引き続き薬に助けをかりて
自分メンテナンスをしています。


今年、2年ぶりにコロナで休んでいた
ボランティア講座が短いスパンで開催されます。
「傾聴」を深めるというテーマです。
その中にオープンダイアローグという講演が
ありました。
精神科医の方が講義されます。


今回は参加を希望しようと思っています。
今の自分に必要なエッセンスかもしれないので。


少しずつ
自分を閉じ込めていた場所から
外に目を向けてみようと
思いました。
今日は久しぶりに出かけてきたら
夕食後に眠くて数時間寝てしまいました。


今日も祈りのうちに。