祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

たくさんのありがとう

母の闘病記録


2月16日 19時23分
母は旅立ちました


前日も前々日も夜間帯だけは
呼吸が心配な感じの間隔でしたが
その日も昼間はまあまあ落ち着いていました。
不思議だったのは、月曜日の午前に
訪問看護師さんが来て
すごくたくさん排尿がありました、と
オムツ交換時に教えてくれて
あんなにオムツでの排尿ができずに困っていたのに
それは良かったと思っていたら
その後ずっと尿量多量が続きました。


16日のお昼過ぎに来た
訪問看護師さんが(月火とは違う訪看)
あまりに尿量が多く、少しお腹に圧をかけると
さらにたくさん出ているので
土曜日に、とりあえずウロパックを
先生が置いていってくれたのを
使いませんか?と聞かれました。
私も妹も出来るだけ何かを身体に装着することは
したくなかったので、少しためらっていたら
看護師さんが主治医に状況を話して
確認してくれて
あくまでもご家族の意向ですが
先生も承諾しているのでどうしますかと
聞かれ、カテーテルに感染などの注意は必要だけれど
尿量多量によっての感染、かぶれのことを考えると
装着する方がよいかと考え、承諾しました。


夕方、訪問の先生が様子をみに来てくれたときに
母の現状を聞きました。
説明はちょっと専門的でしたが
血液の浸透圧の関係で
身体の水分が腹水にいくか血液に行くか
そういう理由から尿多量になっているけれど
いよいよさいごが近づけば尿量は減少していくのでと
言われ、では水分が排出されている間は
まだ、大丈夫と言うことでしょうかとたずねると
そうだと思いますが、2、3日というところかも、、、
でも、お母様は良い意味でいつも自分の予測を
裏切りますから、とちょっと苦笑していました。
(もう少し頑張れるかもと受けとりました)


それが夕方の5時過ぎくらいでした。
呼吸も安定しているし、先生にもそう言われて
妹は夕食の買い物に出かけました。
私がひとり留守番をしながら
ベッドにいる母がちょうど見える場所の
隣のリビングから時々様子を見ていました。
母は、先生の訪問にもアイコンタクトでこたえていたし
その後も手を動かしている様子が見えていました。


そろそろ妹も帰ってくる頃と思いながら
ベッドサイドに行って母の様子を見に行きました。
母は薄目をあけながら、呼吸の間隔が長くなっていて
先生から聞いていた呼吸が1分間に5回くらいになったら
連絡くださいと言われたことを思い出して
呼吸を測ろうと思う間もなく
母は、呼吸が止まりそうな感じとなって
夫の時に体験した感じと同じになりました。
「お母さん!」と呼ぶと呼吸をします。
その次の呼吸が来ないので再び呼ぶと
もう一つ呼吸、こんな様子にあっという間になり
側を離れたくなかったけれど
大急ぎで先生に連絡をしたら
すぐにつながり、すぐに来てくれることに


妹にも急ぎ戻るように連絡


その間も何度か母を呼び、呼吸を促すも
かえってこなくなる
それでも私はお母さんと呼び続けました。
何度か呼んでももう呼吸の返事はなく
それからは「ありがとう」に言葉を変えた
何度も何度も母にありがとうを言いました。
そして瞼を閉じて、顎下に巻いたタオルを置いて
口も閉じた状態にしました。
酸素だけは、ゴムのあとがつかないようにはずしましたが
先生が来るまでは、気持ち的に私が
母の口元でマスクを持って待ちました。


程なくして妹と姪っ子、先生も同時に来て
出かけていた娘も戻って来て
先生は皆さんお揃いですか、と聞いてから
7時23分 確認しました、と静かに言いました。


母は、とても静かに
「日常の中にある死」という言葉を
以前シスターから聞いたことがありますが
本当に日常の中で自然に
永眠しました。


ありがとう
お母さんの子で幸せでした。


今日も祈りのうちに