祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

ある日突然に

夫は膠芽腫のオペから3年が経過しています。
11月、3年と6か月の奇跡的な月日が流れ
突然にまたこんな日がやってきたのです。
再発


正式には再々発ということに
なるのですが。


22日にいつものように大学病院で
2か月に一度ペースになっている
MRIの検査を受けました。
前回は9月でした。
9月の時は、ぼんやりした小さなものは
見えるようではあるが
消えてしまうものかもしれないし
今のところ大きさに動きもないので
引き続き、経過観察ということで
2018年の7月以降は
特に抗がん剤もなく、MRIでの経過観察と
なっていました。


実は11月に入ってから
(夫ははっきりと1日からといっています)
いつもと違う言語障害と見当識障害が
現れていました。


病気が見つかった時のことを思い出して
少し心配でしたが
夫はあの時ほどはひどくない感じがすると
言っていました。
会話するのにも、言葉が出てくるまでに
時間を要し、夫は言葉が出てこないことに
かなりのショックを受けていて
「もうだめかもしれない」というような
発語もようやくのように出ていました。


22日にMRIの後、主治医の先生の診察室で
「なにか変わったことはありますか?」
と、まず聞かれ「あります!言葉が出ないんです」
「それと、相手の話が理解できないと言っています」
と私が答えると
先生はゆっくり画像を追いながら
前回の画像と比較して説明をし
「今回は再発が見られました」と言いました。


私たちは心のどこかで
毎回検査結果を聞くときに
この言葉が出る日がやってくることを
覚悟していたのか、前回の再発の時も
そうだったように今回もかなり冷静に聞くことができ
自分でも、不思議な気持ちでした。
どこかで冷静な自分をもうひとりの自分が
見つめているような気持がしました。


先生はまずはテモダールを服用してみようと
提案されましたが、
テモダール?一度はたしかに服用したことがある
でも、長くは使わなかった
なぜだろう・・・


そうだ、術後に治験を受けたときに
新薬(ニボルマブ)とテモダールを
併せて使ったのだった
そこで薬物アレルギーが出て中止となり
その時の検査でテモダールもアレルギー陽性と
なったのだった
急いでお薬手帳を出してきて
調べていたら、先生も思い出したように
気が付き、手帳にテモダールはアレルギー陽性と
書いてあったこともあって
急遽、再度注射による治療しかないことに
なりました。
先生はこの治験中止の後使ったニドランか
1年少し前まで使っていたアバスチンか考えて
いましたが、結局アバスチンの治療となりました。
なぜか本人はアバスチンが気に入っていて
満足そうでした。


この日にすぐのオーダーができないので
1週間後にアバスチンの治療を開始することに
なりました。
通常2週間ごとに使う薬ですが
分量を調整して3週間ごとにすることになりました。
来週29日、12月20日、1月10日と
3回先まで予約をいれてくれて
1月にもう一度MRI検査をします。


休火山が活火山になったような感じです。
ここからどんな展開になるのだろうか。
できる限りの治療を選択していくのか
夫の尊厳とQOLを優先して考えていくのか


今日、日本に38年ぶりに
ローマ法王が到着しました。
カトリック信徒たちは、この日の喜びを
深く胸に刻んで
長崎、東京のミサに参列できない人々も
教会では大型ビジョンでLIVE映像を映したり
することになっています。
私も東京ドームミサにエントリーしましたが
残念ながら落選でした。
少しでも教皇ミサを味わいたいと思っていましたが
今は、その気持ちもうすれてしまいました。
幸せとは縁遠いところに自分がいるようで
ひとり、誰もいない部屋で祈りたい
いまはそれだけ


今日も祈りのうちに