祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

2019年待降節

12月1日からクリスマスを待つ待降節に

入りました。

8日日曜日は待降節第二主日

アドベントキャンドルも2本目に火が灯ります。


午前中教会に長男と行き

帰りに久しぶりに2人で釜飯のランチをし

そのあと、少し早いけれど

いつもいない長男のクリスマスプレゼントに

靴を見に行きました。

大学4年生の彼は、小学校教師志望

母校で働きたい気持ち1本で

ほぼ就活せずに好きなバンドばかり4年生になっても

していて心配でしたが

先月末に面接試験に行き

先週初めに内定しました。

とにかくホッとしました。


父親である夫に報告しましたが

一緒に喜びを分かち合ういう雰囲気はなく

どこまでわかっているのかな、という

感じです。

もうこの病気になってからはどうして生活が

成り立っているのか

どうして、2人の子供たちが大学に通えているのか

そんな心配はたぶん無いようです。

子供の頃に何の心配もなく

食事があり、学校にいき、

希望の大学を受験していたような

まるで子供の頃のようです。


午後家に戻ってから

ソファに腰を下ろすとすぐにウトウトしてきました。

時計を見ると2時半

3時まで少し休むつもりで目を閉じました。


ふと目覚めると

あれ、今日は何曜日?

日曜日は過ぎたから、月曜日?

もしかして仕事に遅れる!寝坊した!

今何時?え?3時半過ぎてる

こんな時間から仕事に行って

遅刻にしてもらえるのか?

ああ、どしよう、とおもっていたら

ようやく日曜日の午後だとわかった

部屋の明るさは少しかげり、

休日が終わってしまう少しばかりの寂しさ


そこはかとなく、波のように

寂しさがおそってきた

しばらくぼんやりしていたら

ほどなくして二階から長男がギターやら

ハードケースやら荷物をたくさんもって

降りてきました。

「駅まで車出そうか?」

声をかけて、起きて運転して駅で彼を降ろしました。

健康な家族がいることが

こんなに、気持ちをほぐしてくれるのかと思った


猫たちもいつも私が思い悩む時

まるでわかっているかのように

必ず、そばにやってきます。


私は、多くのいのちに助けられて

生きているのだ


何もかも一切の面倒なことを

私に押し付けて重い病気になってしまった夫を

許せる自分になれるだろうか


弱いものを責められる訳がない

そこにはキリストがいるのだから


そう

私はいつのときもキリストとともにいる


待降節の午後

そう思いました。

今日も祈りのうちに