祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

新型コロナウィルスの二次災害・続き

病院の職員は

「ケアしてあげている」的な視点は

アウトだと自分は思う


常に同じ目線で

患者さんに向き合うこと

自分は健常者でよかった、ではいけない

患者さんが望みもしない病気や障害を受け

その状況を受け入れて生きるための

寄り添い、お手伝い、傾聴

これが基本だと考えます


「困っている」

この言葉は、本当に危害を加えたりすることが

あるならいわれてもしかたがないとおもうけれど

よほどのことがない限り

患者家族に対して使わないのでは

ないでしょうか


私は洗濯物をこの梅雨時に日々届けている

家族の方には、まず労いの言葉をかけています。

家族の働きや面会できない不安に

出来るだけ理解を示したいです。


夫の担当ナースはいつも会うたびに

夫がどれだけリハビリに挑んでいて

今はこれくらいの成果であるなどの話は

一度もしてくれないばかりか

こだわりがあって困っていると言うのです。

さすがに私はショックでした。

もともと几帳面な性格ですが

自分でできていたことが

できなくなってしまったのですから

と、言いました。


コロナの世の中で

病院とのコミュニケーションが足りていない

家族はたくさんいると思う

夫は、この先どうなるのか

グレーなことだらけ

脳梗塞の後遺症がどれだけ残るのか

脳腫瘍の治療はいつから再開できるのか


不安を消すことができない


今日も祈りのうちに