祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

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夫の急降下から1週間
土曜日に病棟担当医師からのICが
ありました
長男は仕事、長女は試験前
ひとりで病院に向かいました。


病棟での先生は、いつもの主治医の先生ではなく
ちょうど1年前に脳梗塞で入院時に
担当だった静かな感じの品のある先生です。
面談室に通されて
私と先生だけでのICでした。
夫抜きでのICは、術後以来かもしれません。
それほどいまの医療現場では
患者の権利を尊重して
昔のように、本人にはわからないように
告知や病状を隠したりしません。


昨年よりも、面会に関して
厳重になっていて
隔離病棟のようになっていました。
ワクチンは終わっているので
少しだけでも会えないか聞いてみたけれど
ダメでした。


食事がすすまないので
点滴をしたりしているとか
痰絡みもあるので吸引もしていると
説明があり、先生は吸引もあるし
おうちでの介護は難しい
おうちには帰れないでしょうと
言いました。
画像を開いて、5月のMRIと
7月のMRIの画像を見比べ
進行が抑えられていないことを
説明し、この状態だと2ヵ月後には
もっと大きくなって
今もだけれど言語や起き上がりなど
もっと悪い状況になっていきます。
病巣が大きくなれば
命に関わる場所へも影響してくること
半年は難しい、2ヵ月、3ヵ月
そんなふうに、初めてこれが
余命宣告というものなんだと
遠くの方で響く声に
私は受け止めることが精一杯でした。


アバスチンの化学療法の予定が
8月初めにありますが
効果は期待できないということでしょうか
と、聞いてみましたが
先生は静かに頷くだけでした。
これまで色々なことをして
ガンと闘ってきて
さいごまで、何かできる治療をするか
あるいは残された時間を
もっと別の過ごし方をするか
ご家族としてはどのように
お考えですか、と聞かれて
本人と意思疎通が難しいので
本当のところは、わかりませんが
痛いこと、苦しいことはやめて
穏やかに過ごしたいです
まずは、今この時に面会ができないことが
家族としては精神的に本当につらいので
少しでも会える環境にしたいです


そう答えました。
先生は、食べられなくなったときの
胃瘻の説明もしましたが
たとえ胃瘻をしても病気の進行には
勝ることはないわけですよね、というと
そうです、と先生
胃瘻を望むことはありませんと
答えました。


療養病院の病棟で仕事をしているので
半数以上の患者様が胃瘻です。
中心静脈栄養(CV)もですが
身体に何かを入れていると
どうしても感染など、トラブルも
ありがちです。
時間を短くしてしまうかもしれませんが
出来るだけナチュラルを望みたい
少し前に夫とは、緩和ケアについて
話していました。


先生は、これからのことはMSWに
入ってもらいながら
決めて行くようにしてくださいといって
お話終了
これまで本当に何度も再発をしてきたけれど
いつも再発と闘う提案があったのに
今回ばかりは、こんなにあっさりと
次なる手段がないという話になり
私はまた何か奇跡が起こる気さえ
してしまう


夫は家にはもう帰れないことを
わかっているのだろうか
それとも、だんだんと進む
意識障害のために
私たち家族のことも
忘れてしまうのだろうか
まだ叶えてくれていない約束もあるよね
ずるいよ
私に何もしてくれないで
先にいってしまうの?


どこまでもどこまでも自由な人!
穏やかな老後の時間なんて
作ってくれないんだね


でも
こんなに長い時間をあたえてもらえたことに
感謝しなければなりません
父を看取り、その後すぐにだと
たえられないと思っていたので
神様はこれだけ時間をくださった


帰れない入院だと
介護保険より医療保険が優先になります。
なので、いまさらに区分変更申請して
要介護2から3になった通知がきたけれど
週末に夫の介護ベッドを返すために
その準備をしました。


夜中に何度も目が覚めてしまいます。
夫が、トイレに起きるのを
見守って来たから


もうその必要がないのです。
リビングのソファで寝ていましたが
2階の自室に移りうと思います。
でも今はまだリビング寝
夫が部屋からでてくる気がするのです。


何もしてあげられなかったのは
自分の方でした。


月曜日にMSWさんと話してみよう


今日も祈りのうちに