祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

在宅を選択すること

母の闘病記録


母が現在、ターミナルに向かう
どのあたりまで来ているのか
わかりません。
訪問の医師も
画像から判断した余命を超えていることを
私たちに話します。


これを中治り時間というのか
わかりません


母の一番の薬
それは家にいること
家族といつも一緒にいること
これにつきる
このことが母を精神的賦活へと導き
オキシトシンに満たされて
結果安楽なベッド上の生活となっている


寝ている時間はますます増えてきていても
褥瘡の心配もどこにもないし
呼吸苦はあっても今は痰がらみも
全くないのです。
表情もとてもガン患者にはみえないほど
明るい


まともに食べることができない状態は
2ヵ月を超えています。
この状況で、ホスピスとも度々情報を
知らせるための連絡をとっていましたが
来週にベッドの用意ができることの
連絡が来ました。
週末、家族で相談して月曜日に連絡することに
なりました。


来週水曜日と言われています。
すでに2月になる
もう、そろそろよいのではと思うけれど
妹は今の母を病院の孤独な部屋に
入れることはできないと言います。
この気持ちはわかるし私もそう思う
でも、この段階で先延ばしにすれば
自宅での看取りになる可能性はかなり高くなる


答えが出せない
母が大好きな家で命を終えることは
母にとってはクオリティの高いさいごなのだ
妹は、母の思いを叶えることが第一で
それに付随してくる介護の今後ますます大変になる
そのことは自分の理由であり都合であると言い
できる自信があるのか聞くと
やるしかないと言います。


そばにいてこそ
さいごに立ち会える可能性が高いし
母がさいごまで幸せの中で逝かれると
言います。


医療従事者、医療環境のない中で
母を見おくること
誰かの支えがあって
自分はただ旅立つ人を見ているだけでいいのではなく
自分たちだけで母の旅立ちに立ち会うのだ
全て自分で消化しなくてはならないし
アフターもない
グリーフケアを受けることもない


この覚悟を持って
母をみおくるのだと
昨夜は母と一緒に死んでしまいたい気持ちになりました。
こんなことを言ってはいけないことと
私はカトリック信者なのだとわかっているけれど
死んでしまえば、後から押し寄せる
無限の悲しみを背負うことも
無限の空虚さに襲われることもないと
そんなふうに思ってしまったのでした。


今日も祈りのうちに