祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

不安な夜

母の闘病記録


深夜ですが、母はようやく
落ち着きました。
昨日はずっと体調が悪そうで
ベッドから出られませんでした。


夕方頃から背部痛が増強
レスキュー薬のアブストラルを
先生からの電話指示で増量
さらにフェントステープも
2mgをもう1枚追加し
その後1時間くらい眠りました。


20時頃、訪室
母は目が覚めていて
身体をしきりに動かしていました。
布団も跳ね除けていて
そのうちに、どっちを向いても
痛いと言い出しました。
痛みは背中の真ん中あたり


妹は、ベッドで寂しくて
さすってもらいたかったり
そばにいてほしいのだから
そうすることで、緩和するような痛みだと言って
先生に電話する意思も消極的でした。


私が、痛い人を前に
緩和ケアになっていないと言うと
同じ膵臓がんだった父も
最後はけして痛くなかったわけはない
ホスピスにいたってつらそうだったじゃないかと
言いました。


父はホスピスでさいごは24時間持続の
モルヒネ点滴をしていました。
今の母にこれ以上の緩和ケアは
できないのかと、心には
やはり在宅にいることで即応的な緩和ケアが
できないように思えてしまいました。
心配なら、私から先生に連絡すれば?と
言われて、迷いましたが
これまでなかった痛みの訴えをしている
母を目の前に
やはり、先生に電話をして
痛みがとれなくて見ているのがつらいと
正直に言いました。
先生は、いったん切って連絡すると言い
30分たっても連絡がなく
その間に母の手足が振戦してきたこともあって
先生のクリニックの訪看ナースの携帯に連絡して
電話で指示だけもらえるか聞き
状況を話すとナースから先生に連絡すると
ナースから先生に電話を入れてくれることに
なりました。


少しして先生から電話で
薬局に薬を配達してもらうのでと
言うので、薬が来たらもう一度連絡しますと
言って、薬を待ちました。


子供達も集まって
母のベッドを囲んで
さすったり、てをにぎったりして
心の声で励ましました。


0時を過ぎても薬局は来ない
母はもう努力呼吸で
もうろうとしながらも
呼べば返事をします。


今度は妹が、薬局は24時間対応といっても
24時間処方箋を受けるだけで
実際来るのは翌朝なのではないかと言い出し
そんなバカな24時間対応があるわけない!と
処方箋の受け付けだけなら
どこの薬局だって24時間できると
私が言うと、妹はもう一度先生に
連絡すると言いました。
先生は、薬局がいくら電話しても
繋がらないと言い
よりによってこんな日にそんなことが
あるなんて、という様子で
とりあえず先生が来てくれました。


夜中の1時過ぎです。


先生の往診のころには母はずいぶん
落ち着いてきて
眠っていました。
フェントスの効き目があらわれてきたのだろうと
いうことでした。
先生からは、おそらく腫瘍が大きくなって
膵臓のすぐそばにある背骨の神経に
あたっているのだろうと言われました。


今は、状態が落ち着いているから
とりあえず家にある
(お守りのように処方されていた薬)
オプソを使うまでもないとのこと
これを使うことによって
呼吸抑制も出るので、今の状態では
あまり使いたくないとのことでした。


朝、もう一度往診に来ますと言って
先生は帰りました。
先生のみたてでは
この夜のうちということはなさそうだけれど
日の単位でしょう、週の単位ではなさそうですと
言われました。
でも、これまでの余命の予測は超えているので
はっきりとは言えないが、とも言われました。


今日も祈りのうちに