祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

尊厳ファースト

緩和ケアに来て
夫は穏やかに過ごしています。
それほど吸引のお世話になっている様子もなく
自分で排痰できていました。
転院する時に久しぶりに会った時
しきりと舌を指して痛いと訴えていましたが
どうやら吸引で痛かったことを
一生懸命手で説明していました。


長い間お世話になった大学病院を
悪く言うつもりはありませんが
食事はたべられないとか
携帯は使えないから持ち帰ってくださいとか
聞くからにかなり悪い状態をほうふつさせる
言い方でしたが
緩和ケアに来て翌朝、ゼリーを朝ごはんで
1個食べられました
1個が1日分かと思っていたけれど
買ってきて持ち込んでいいですよと
言われました。


今日は音楽聴きたいかと夫のスマホを持参して
みました。渡すと自分で登録している音楽を
選んで聴いていました。
自分で出来そう?と聞くと頷くので
じゃあ、置いていくねと言って
ナースに音楽を聴くので携帯持ち込みますと
伝えるとニッコリして、「はい、こちらも
よかったら使ってください」と
壁付けのCDプレーヤーをさして
ご自由にどうぞと言われました。
それらのことを思うと
急性期病院ではそこまでしてはもらえないし
すこしでも出来ることを尊重しては
もらえないのだと思ってしまいました。


極端に言えば
治療のすべがなく、死を待つ患者だから
出来ることを保持することもないという
考え?
多忙な病棟だから仕方がないもかもしれない
緩和ケア病棟のナースの数は
丁寧なケアができる人数だし
比較はできません。
でも、さすがに禁食の患者だからか
10日以上も排便なしの状態だったようで
21日に入院時のサマリーの最終排便が9日に
なっていてお腹がパンパンでしたと言われて
可哀想で涙が出そうでした。


言葉もうまく出ない患者です。
治療をやめるという決断を
本当にこれで良いのか悩みましたが
このまま急性期の病院でターミナルの
入院を続けていたら
夫は尊厳もなく
動けない棒きれのようになって
さいごを迎えたかもしれませんでした。
ましてや面会もできずに
孤独な中で。


もうそのことは考えないことにしよう
今、神様が連れ出してくださった
憩いの牧場での時間を
出来るだけ長く穏やかに過ごすことが
できればそれでいい
ここに連れて来ていただけたことは
まぎれもなく神の慈しみ
私は今はもう「恐れるな」のみことばを
しっかり受け止めることができます。
きっと夫もそうです。
今日音楽を聴きながら夫は涙をぬぐっていました。


そして、司祭の秘跡をうけるための
親族以外の面会も許可をいただけて
金曜日は午後所属教会の司祭が
病床訪問と「病者の塗油」という
カトリック信者の受けられる秘跡を
夫に施してくださいました。


夫は深く病者の塗油を受けて
さらにご聖体拝領もできたのです。
小さくしていただき
残ったものは私が拝領しました。
神父様に向かって、小さなかすれ声で
「ありがとうございます」と言っていました。


感謝の気持ちでいっぱいです。


今日も感謝と祈りのうちに