祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

外出

5月19日に入院してから初めて外出しました。
いよいよ来週退院が決まったので
リハビリ外出として数時間のことでした。


夫は、度々病床訪問してくださっている
神父様のところに行きたいと言ったので
病院から車で40〜50分のところにある教会へ。
朝から激しい雷雨が降ったりやんだり
外出の条件としては良くなかったのですが
出かける2時過ぎ頃は小降りになりました。


病室では落ち着いてお話できないと言い
今日は1時間以上、お話を聞いていただき
また、ご指導もいただきました。


以前にも言っていた2人の自分について
時々声をつまらせながら話す夫
想定もしないことが自分にふりかかり
2人の自分のうち、これまで小さな存在だった方の
自分が大きくなっていったと言います。
お金を稼いだり楽しみを求めたりしたいと
思う自分は小さくなり
そんなことはどうでもいいのだと思う自分が
大きくなって
でもどうしたらいいのかわからないと
涙を流す夫。


神父様は、存在に対して人がつけた価値は
有限なもので取り去られてしまうもの、
お金を得たことも残らないものだけれど
人のために働いたり、人とかかわったり
人と分かち合ったものは残るものである
と言うお話をされ、
さらにキリスト者はシンプルに
「神に委ねる」という未来に対して希望のある生き方
楽観的な生き方をしていて
それは人に評価されるものではないことを
静かに話されました。


帰りに夕食は何が良いか聞いたけれど
自分は食欲は全然ないから私に何か
おいしいものを食べるようにと言います。


せっかく病院の外でお食事するのだから
少しでも食べたいものはないの?という私の問いに
仕方なさそうにマックのポテトを食べるから
私にはしっかり食べるようにと言いました。
病院への帰り道にあるマックに車を止め
杖を持たせて介助しましたが
もうかなり疲れているようでした。


私が購入してきたポテトを食べると
「全然おいしくない」と言い
悲しそうに
「何を食べてもおいしくないんだ」と
言い、ほとんど手をつけず持ち帰りにしました。
長い入院の中での外出の疲れと
食べ物の味のなさで
会話もなく帰院時間の夜8時より1時間ほど早かったけれど
早々に切り上げ、病院に向かいました。


だいたいマックはトイレも二階で行かれなかったし
これから夫は数々の生きにくさと
向かいあわなければならないのだと
あらためて感じ
病院から帰り道を1人運転しながら
自分の健常ささえが恨めしい気がして
また内緒の涙を流してしまいました。


今回の入院中の最初で最後の外出だと思いますが
とりあえず無事に病院のベッドに戻れました。