祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

回想

2年前の7月3連休に
夫はホスピスに入りました
家に戻れないこと
わかっていたのかな…


私の方が、そんな状態の中にあっても
病識があったのかなかったのか
外泊でも帰れるかもしれないからと
ケアマネさんを驚かせて
家にあった介護ベッドのレンタル業者さんは
親切にも、すぐに引き上げずにいてくれました。
入院すると介護サービスは使えないので
そこは良心的なサービスでした。
今冷静になって思うと自分でも
わかっているようで現実をわかっていなかったと
思います。
妹の方が気づいていました。
最後の外来診察の時に
先生が次の診察までに何かあれば
予約なしで来てくださいと言い
ぽつんとその時は入院だと思うと言ったことを
妹に話したら、彼女はその時に最後通告だと
思ったと後から教えてくれました。
私だけ、希望が捨てられずに
きっとまたいつものように良くなるかもって
ぼんやり考えていたのでしょう
もっと覚悟ができていたら
仕事も休職して家でそばにいて
あげられたのかな
全て過ぎ去ったことです


8月末で12年半勤めた病院(職場)を
退職することに決めました。
きっかけはいくつかありましたが
一番は家に帰りたいといいながら
亡くなってしまう患者さんをみることが
辛すぎて、心が病んでしまい
あるシスターにそのことを話すと
今の私がそこにいるのは良くないと
言われました。


勤め始めた時、子供達は中学生と
小学生でした。
子供達が大学1年と高校生1年の春に
夫の病気がわかり、手術、そして夫は
働くことができなくなり
私は、大切な家を手離し
病院通いと仕事とで
生活を支えることに必死でした。
辛くても仕事だけはやめることが
できなかった


子供達2人は教会で成人式をしました。
娘には、きちんと振袖を着せて
(着物は妹のものをかりましたが)
ホテルで撮影もしました。
家にいた夫には撮影中に、娘の姿を送り
ヘルパーさんが、スマホの画像を
夫に見せてくれました。


息子は夫の存命中に就職して教師になったけれど
娘が看護師になった姿は、見せられませんでした。
夫が逝ってしまい、夫の葬儀では
誰よりも泣いていた母が
その半年後に驚く早さで逝ってしまい
そのすぐ後に私は何度も挑戦した
保育士試験に合格


子供達2人が社会人となり
私は、退職を決意
今後は、ぼつぼつ子ども関連の仕事を探して
無理をせずに働こうかと思います。


大学を卒業してから
育児などの期間を抜かせば
長きに渡り働きました。
この12年は特に色々な困難の中で
頑張ってきました。
神様のご計画のうちのことですが
両親に守られて、何も心配することもなく
育った自分の後半の人生が
こんなに波瀾万丈だとは想像もできなかった


子供達の将来を祈りながら
平和に暮らせることを
今日も祈りのうちに