祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

せつない気持ち

週末はクリスマスでした。
24日は日曜日でしたので
待降節第4主日があって
その日のうちの夜半にはご降誕になるという
第4主日が最も短い年でした。


夫はクリスマスに教会に行きたいという希望があり
夜半ミサに一緒に行こうと思っていました。
ところが、車の手配ができないかも、という
心配が出てしまい
(車は実家の車を借りている)
実家も病人(父)がいるために
車がフル活動でした。


全ては実家の予定次第ということでした。


車がなければ、車椅子で電車という選択も
あるにはあったのですが
時間が夜であるということと
家から駅までふつうに歩いて20分弱のところを
車椅子を押しながら荷物を持って歩けば
30分はかかるでしょう。
それに、教会は早くても夜8時過ぎに
出て帰ることになるだろうから
クリスマスだしタクシーを呼んでくるかどうか・・・


施設の門限は夜8時だから
間に合わないとしても大急ぎで
帰らないとならない


色々なことを考えていると
わたしたち、車がないと行かれないんだ
ということにたどり着きました。


自宅に孤立した感じがしました。
わたしたちを誰も助けてくれない
やりたいことがあっても
緊急性はないから、ヘルプはして
もらえないんだ


この時、本当に
障害者の家族として
孤独とせつなさを感じてしまいました。


5時すぎに車を借りることができ
遅れて教会へ行くことができました。
夜半ミサのあとは
まっすぐに施設へ帰ったので
夜のパーティには出られなかった。
喜びを分かち合う時間もなく
大急ぎで施設へ帰りました。
私はそのあと自宅でひとり
小さなケーキをいただきました。
夫にもあげたかったけれど
できませんでした。


障害者の家族と付き合うことは
一般の人々は面倒なのです。
できないことだらけだから
歩調をあわせることが面倒です。
そんな風にしてだんだんと孤立していく
そんな気がしてしまいました。


そんなことで人を恨みたいとは
思いません。
わたしたちが障害者ファミリーとして
まだまだ慣れていないのかもしれません。
せつない気持ちを綴りたかったのですが
とりとめもないような話になってしまいました。


今日も祈りのうちに

さようならの準備って?

私はターミナルケアの病院が職場なので
緩和ケアの中に家族のための
準備のお手伝いという冊子作りを
しています


それを読んでいたら
いざ、自分の家族の時に
これを冷静に考えられるか・・・
自信がありません


病状がすすんでくると
食事量の減少
食欲はなくなりやがて水分摂取も
むずかしくなる


むくみ
足や顔にむくみが出て
尿量が減少
身の置き所のないようなだるさの出現


呼吸の変化
旅立ちが近づくと
弱い呼吸、浅い呼吸
時には呼吸がお休みしたりもある
また、喉の奥でゴロゴロという音
これは旅立ちが近づいた時の
身体の自然な変化である


せん妄
身体の機能の低下とともに
脳の機能も低下することによって
つじつまのあわないことを話すこともある
そんなときな否定せずに聴くこと
否定されると混乱することもある


さらに状態が進み旅立ちが近い状態になると
眠った状態になる
それでも最期の瞬間まで聴覚はあると
言われているので、声かけしたり
身体をさすってあげるのが安心する


そして
急激な状態変化や旅立ちの時のために
旅立ちに着る服を用意する
また、避けたいことではあっても
葬儀社を決めておくことも・・・


こんな風な内容の
冊子です


人は眠るように終着駅に着くのだそうです


今日も祈りのうちに

番外編 肺炎と闘う

父の記録


すい臓がんで治療中だった父は
高熱が下がらずに12日受診して
肺炎であることがわかり入院しています。
父は若い頃からのすごいヘビースモーカーで
3年前の大晦日に呼吸器の先生の指導の下
禁煙に踏み切りました。
呼吸器科とのつながりはそこからでした。
COPDの診断で咳も止まらずの日々で
病院に行けば禁煙になるからと
1年近く、呼吸器科へは行かなかった父
結局禁煙(断煙)となってきっぱりと
煙草をやめました。


同じ病院内で呼吸器科と
その後見つかった胃がんの手術をした消化器科とに
かかっています。
今年になってみつかったすい臓がんは
消化器科で化学療法をしていました。
それで今回の肺炎は再び呼吸器科です。


昨日のICでは入院して1週間過ぎましたが
高熱こそ落ち着いていても
36度~37度をうろうろ
食事は摂れるようになり、ふらつきも少し
改善されています。
でも実は、抗生剤が全く効かなくて
その代わりのステロイド治療をしているらしいのですが
その量は初めに比べると
10倍以上になっているらしいのです。
先生からは、肺炎の原因はまだ誤嚥性かどうか
はっきりとはしなくて
抗がん剤による炎症ということも
あるかもしれないために
すい臓がんの方の治療をストップすることに
なってしまいました。


父は治療をやめると言うことに
ショックを感じているようです。
でも、今は肺炎が怖い病気で
いつ急変するかあなどれない状況にあるという
自覚が必要だと言うことです。
肺にかかっている白い炎症が
全てに広がってしまえば
なすすべもないということでした。
その上、1年くらい前からある肺の影
これはしばらく様子を見ていましたが
おそらくはがんであろうとも。
進行が遅いようで1年前と比べても
わずかな大きさの違いしかないようですが
父の身体はこんなにむしばまれていたのでした。


ICを聞いた両親は
それはそれはへこんでしまっています。
特に母は、今は受け入れがとても重くて
どうしようもないスピリチュアルペインなのだと
思います。
私も妹も
平常心ではいられないのですが
今は、父のことも母のことも
支えて行かなければなりません。


仕事が終わってから父の病院
母をできるだけ一人にさせないように
実家で夜を過ごしながら
遅くに帰宅
これを繰り返しているために
施設にいる夫の面会ができない状況が
続いています。
昨晩ようやくちょっとの時間を調整して
面会に行きましたが5分でした。


それでも、昨年私に降りかかった
夫と過ごす時間が短いであろう宣告をされたときの
心の置き所のない不安な気持ちが
きっと今の母にあるのでしょうから
母に寄り添いながら
父を看病すること
それが今は最優先なのだと思う


今日も祈りのうちに