祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

アバスチン7回目

8日から大学病院に入院
いつもの化学療法のための入院です。
昨日アバスチン7回目が終わりました。
いつものように、特に何も
副作用みたいなものはありません。
夜、面会に行ったら
楽しそうにおやつを移動販売
(病棟にコンビニから販売にくる)で
買ったといって見せてくれました。


1年半前はこの病棟で
気持ちも萎えて、食欲もなく
悲しい日々を送っていた人なのに・・・
神様から再びいただいたエネルギーを
大切にしたい(私の心の声)


病棟に来る途中にHICUの前を通りますが
術後にこの中にいた時のことを思いだすと
胸が苦しくなり
頭がいっぱいになってしまいます。
手術前にふつうに歩いて面会の人を
玄関まで送っていた夫が
術後には、うつろな瞳と動かない右半身での
対面だった


今はふつうに元気そうです。
どうしてこの人にいつ噴火するかわからない
病気が潜んでいるのだろう
そんなふうに毎日思ってしまいます。


今日のMRIで異常なければ
次のアバスチンは3月です。
そのICは退院の日、13日にある予定です。


そのころ、膵臓がんの父は
どんなふうにしているのだろうか


ホワイトアウトのように
先のことは見えない日々です。


今日も祈りのうちに

2018年お正月

年が明けて2018年になりました
我が家では長男が来週成人式
長女は18歳、受験生となります。


自慢をするわけではありませんが
この1年半と少し
よくよく自分の少ない収入で
この家族を支えてきたと思います。
2年前の長男の受験の時に
贅沢しないまでもかなりの出費がありました。
そのことを考えて
今度はほぼ母子家庭の中で
長女が受験生になるので
この1年またコツコツと貯金をしなければ・・・と
年始にあたって考えています。


「母子家庭」と言いましたが
夫が障害手帳を受け取った時から
我が家は母子家庭として行政から支援を受けています。
母子家庭の支援とは
・母子育成手当
・母子扶養手当
・医療費1割負担
などがあります。
母子家庭でもそれぞれの家庭の状況にもよるので
少しずつ違ってきます。
もう少し細かく話すと、母子扶養手当を受けていると
水道料金の減免、粗大ごみの減免なども受けられます。
こちら、子が18歳の年度末までです。
障害年金の子の加算も同じく18歳の年度末までだそうです。
ということで我が家では18歳未満の子は1人なので
対象は1人の子のみとなります。
もし、同じようにご主人が障害で働けなくなったご家庭の
参考までに記述しました。


さて、夫は1日の夕方、施設へ戻りました。
5時くらいに送っていくと
職員さんから
「お風呂はどうされますか?」と聞かれました。
元日でも入浴させてもらえるんだ・・・と
その親切さに驚きました。
私の職場は病院ですが、年末年始は
入浴体制はありません。


夫は家でもずっと課題のようなプリントと
向き合っていました。
施設での生活が自分のペースになっているのか
自分のペースで過ごしていました。
なので特に、何も言わずにそっとしていました。


夫が施設に戻って、1日の夜は実家へ行きました。
家に入ると病人の父は
いつもの自分の席に座って
ジャケットを着ていました。
そのお正月らしさにびっくり。
どこまでもどこまでもプライドを持った父。
実家で寝泊まりしている妹に聞くと
歩き方も何もかも本当に弱々しくなって
体力のことはかなり心配だと言っていました。
身長180センチ以上の父ですが
今では体重が52キロまで落ちてしまったそうです。


本当にさいごのお正月かもしれない。
そう思うとせつなかった。
父は今夜から再び病院へ戻ります。
このまま家に帰れなくなるのかもしれないとさえ
思ってしまう
この先も父にとってのQOLを第一に考えて
できる限りそれに添えるようにしたいと
思いました。


新しい年に
祈りをこめて

年末のPatients

夫と父の2人の病気の人がいながらの

2017年の年末です。

夫は私の仕事の休みにあわせて

30日の午後から2泊の予定で自宅に帰ってきました。

一方、病院に入院中の父は

ギリギリまで外泊できるか微妙でしたが

31日から2泊の予定で実家に帰ってきました。


今日の朝、妹と父を迎えに病院へ行きました。

昨日、病院に行った時に

帰ったらまずお風呂に入りたいから

つくっておいてほしいといわれました。

食べたいものは、水炊きか

すき焼き、年越しそばも食べて

おせちも食べる

でもどれも少しだね、と父は言います。

ほとんど食思なく入院したのですが

病院のお食事はおかゆ1~2割

おかずは3~5割くらい食べられるように

なっていました。

このような状態だけにどんどん痩せていく父でした。


病室から駐車場まで少し歩くので

車椅子を勧めると

初めはいいよと言いましたが

歩くと長いからと言って車椅子に乗ってもらいました。


実家に着くと、玄関まで階段が2段ほどあります。

入院してすぐに用意した杖を使いながらでも

1段上がると足元がふらつく

ずっとベッド上の20日間だったのだから

想定内でした。


私は自宅に夫を残してきたので

実家につくと早々に家に帰らなければ

ならなかった

心の中では、ずっと父のそばにいたかった

今は夫に比べて父の方が弱々しいから。


息をして

言葉を使い

体温のある父と

この先どれくらい一緒にいられるのだろう


痩せて、弱々しくなってもなお

自分の力で過ごしたい父が

今は思いきり痛々しい


もしかしてさいごの

お正月になってしまうかもしれない


このことは

夫を見ていても思うのです。

夫は今とても元気ですが

いつも頭をよぎる

5年生存率10%

年が明けて5月が来れば

丸2年になります。


家に戻った夫は

いつ見ても、書き物をしています。

一日中、書いています。

持ち帰ってきたリハの課題のようです。

漢字問題のようなプリントです。

もともと集中力のある人なのですが

会話する余地もありません。


こんなふうに

2人の病気の人と越える

2017年の大晦日です。


新しい年も祈りのうちに