祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

治験を行う決心までとその後

夫の脳腫瘍の治療は
そもそも手術前から主治医の先生の中で
「治験」のことが頭にあったのかと思います。


治験に至るまでの実に計画的な歩みがあるので
先生のそのご意向には賛同しました。
手術までの治験への理解度は
将来的な医療のために貢献すること
この程度でした。
大学病院で治療を受けるということの
理解のひとつとも思っていました。


そもそもニボルマブの治験がちょうど開始の時で
病院から2名募っていて
夫が条件的にあてはまる状態だったので
先生は覚醒下手術、四肢の機能保持
遺伝子検査など、計画的に考えてられていたのだと思う。


術後の検査結果の説明とともに
治験コーディネータの説明
同意書
どんどん波に乗っていく船にいるように
話は進んでいきました。


そして、いよいよ治験の条件が通り
最後の同意書の段階で
初めて「プラセボ」という存在を知る。
新薬50%、プラセボ50%の確率で
テモダール、放射線とともに開始するということ
これを聞いた時は治験に対して無知な私たちは
びっくりでした。
でも治験を辞退したとしても
テモダールの治療はするのだし
それなら、治験でのぞむほうが半分の確率で
新薬を使えるのだ、とその時は思いました。


ただ、長男は新薬の副作用が心配だといって
消極的というか反対意見だった。


でも、私は完治という言葉のないこの病気に
少しでも希望のあることをしたかった。


それで、あんなに考えて決心した治験も
結果、2回目にしてキーオープン、
つまり終了の方向にあります。


新薬を使えるかもしれないという希望から
2006年以降主流となっているテモダールさえ
使えない患者になってしまい
私たちはまた、ターミナルが見え隠れしている
目の前の道が見えている状況です。


ふりだしに戻ったというか、仕方がないことなのですが
病院と一緒にマラソンをして
途中棄権をしたような気持でちょっと疲れています。