祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

治療開始から1週間

いつものように仕事が終わってから

約50分ほど車を走らせて

夫の病院へ着きました。

15日なので多少道路は混んでいました。

雨はパラパラと時々。

ワイパーを連続で使うほどではありません。

(ワイパーで車酔いする私)

 

病院の駐車場を出て

警備室前で面会札を受け取り

一番奥の病棟まで(遠い!)の途中のコンビニで

食後のデザートを二人分買ってから

病室へ行くとだいたい夕食が終わっているので

一緒にデイルームへ行ってデザートタイムにします。

 

今日は、おなかがいっぱいだと言って

夫は食後のデザートなしになりました。

もしかして、ちょっと食欲減退かな?

第一回目の点滴から1週間

テモダール服用開始から5日目です。

放射線も5日目ですが

放射線による損傷部分はいまのところありません。

 

今日または昨日から

トイレまで車いすを卒業して杖で行くようになったそうです。

もちろん、ナースコール&介助つき。

少しずつ自分らしさを取り戻している。

でも、どうしても会話をすると

名前が出てこない

説明がわからない

などが気になっています。

 

こんな生活は自分の生活ではないと思う

自分は確実に長く生きるよりも良く生きる方を選択する

 

脳腫瘍ブログを回っているときに

このように書かれていたブロガーさんがいらっしゃいました。

とても印象的でした。


今の医療現場では、こういった気持に寄り添う方向にあります。

公平な治療を受ける権利

選択の自由の権利

自己決定の権利

機密保持の権利


たとえば自分の場合だとしたら?

いつもこんなふうに仮定して考えてみる。


療養病院ならナチュラルにいくことの選択を許されても

急性期病院なら治療が大前提のようです。

主治医の先生もそう言われていました。

そのための12時間の手術だったんだとも。

手術→治療→維持

あたりまえなんですね。


家族の側からは最善の治療を受けてほしいと願っています。

でも、それによって患者である本人の

スピリチュアルペインはとりのぞけないのかもしれない。

術後の病理検査の結果をもとに説明を受けて

はっきりと病名を言い渡されたときは

病室に戻って泣き崩れていた夫です。

その時はもう治療はしたくないとさえ言っていました。

でも今は前を向いて歩こうとしています。


とにかく夫とともに

夫が受け入れながら物語をかきかえられるように

真心をささげながら

明日も優しく寄り添える自分でありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自分は確実に長く生きるよりもより良く生きる方を選択する