祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

新しい生活

家族4人の生活は2年ぶりです。


いっきに家庭の仕事が増えました。
それにまだ慣れていなくて
自分の時間のようなものが作れません。
一息つく時は、ソファでうたたねしてしまったり
仕事から帰ってきて食事の支度や片付け
あれこれとしているうちに
あっという間に夜も更けてしまいます。
基本的に主婦業が苦手なので
なんだか合理的にできていないようです。


夫は週末は近所へ散歩がてら
一緒に買い物に行ったりして
過ごしました。
私は夫の荷物を片づけたり
お風呂の脱衣室を広く使えるように考えたり
忙しい週末でした。


月曜日に6月から毎週火曜日に
通う予定のリハビリの予約や
移動のため送り届けと介助をしてくれる
介護サービスと契約をしたりしました。
こちらは車を利用して自宅へ送る手配なので
障害での移動支援の受給者証を使えずに
自費になってしまいます。
移動支援を使っての介助は
ヘルパーさんと電車などの利用になりますが
どうしてもそれをしてくれるヘルパーさんは
見つからなかったので仕方ないです。


火曜日には居宅でのサービスをしてくれる
ヘルパーさんと契約をしました。


こちらはお昼の12時から約2時間
お昼ご飯の配膳と入浴介助です。
お昼ご飯の配膳は毎回
入浴介助は月、水、金で
木曜日は近所へお散歩になりました。


今日は鍵の管理のための
キーボックスを注文しました。


とりあえず準備はできました。
あとはこの生活にできるだけ早く
慣れることです。


それにしても障害のサービス提供は
いまだに手探り


グレーなことばかりです。
夫のように65歳前の段階の人は
介護との狭間にあり
受けられるサービスを探すのが
大変なのだとわかりました。


できるだけ同じ境遇にある方に
情報を提供できるように
記録していかれたらと思います。


今日も祈りのうちに

在宅生活スタート

5月24日の夕食後に
7か月間暮らした施設を退所しました。
この施設は高次脳機能障害者の施設なので
おおよその利用者が脳の事故や病気の後の
障害をもつ人です。
そのために、コミュニケーションの難しさや
突然の感情表現など
日常的にあるようです。
基本2人部屋なために同室者同士でのトラブルや
所内でのさまざまな出来事などが日常的にある中
職員さんたちはみなさん大変親切でした。
社会福祉法人で働く精神をきちんと
持っているということです。


夫はきれい好きなので
お部屋の使い方、私物品の整理などが
たいへんきちんとしていると日頃から
ほめられていましたが
私が行ってみると、すでにきれいに片付き
荷物は台車に乗っていました。
最後の数カ月は1人部屋だったので
気兼ねなく暮らせたということでした。


7か月はあっという間でした。
夫はすっかり杖と補装具を使って
ゆっくりだけれど歩く生活ができるようになり
身の回りのことも、障害のある人として
上手に工夫しながらできるようになりました。
今では障害者としての自分をきちんと
受け入れている感じです。


さて
在宅生活の準備が
慣れない私にはとても忙しかったです。
まずは、在宅でのプランを作ってくれている
相談員さんがいるのですが
その方が色々と手配をしてくださるのかと
思っていたら
居宅も移動もヘルパーさん探しを
自分ですることになり
評判などもわからずにあちらこちらに
サービスをしてくれるところを探して
電話しました。
障害としてのサービスなので
なかなか見つからずに苦労しました。
特に、電車とバス利用の通院は
(移動支援なのですが)できないというところばかり。
リハビリのために自分の勤める病院へ
週一回通いたいと考えていましたが
これがなかなかどうしてみつかりません。


福祉事務所からは
いろいろなサービスが受けられますよ、と言われ
簡単に受けられるのかと思いきや
そうではありませんでした。
確かにサービス自体はあるのでしょうけれど
サービスをしてくれるヘルパーさんがいない限り
受けられないということを知りました。


久しぶりのマラソンです。
夫のために多くの手続きをした
2年前を思い出しました。
福祉事務所、年金事務所、区役所・・・
仕事の合間にあちこちに行ったあの頃のことです。


仕事中にこっそり電話しに行ったり
ある時は運転中の電話に
コンビニに停めて対応したり
またある時は電車を何台も見過ごしながら
駅のホームで電話をしたり
いろいろな人に相談をしながら
ヘルパーさんを探しました。


退所日の昨日にようやく
居宅のお昼時1時間
入浴日は2時間
リハビリのための通院で移動支援を
うけてくれるところが見つかり
ほっとしました。


6月からということになるので
5月はなんとかしのがなくては。
今日は午後半休で帰宅します。
福祉事務所で施設入所中にストップしていた
心身障害者手当の復帰手続きをしに行き
退所した施設にご挨拶に行き
夕方は福祉用具の業者さんが家に来ます。
福祉用具も障害としてでは
工事を含むことができないし
購入品も基準額があるため多くは買えそうも
ありません。
今のところとりあえず室内での安全のために
4点杖は購入したいと考えています。


来週は月から水曜日までは
娘が中間試験中のためにお昼ごろ帰宅するので
昼食の提供をたのめそうです。
あとはお弁当を作ってお留守番でしょうか。


生活自体が3人から4人になると
洗濯物、食器、あらゆることが増えて
忙しくなりそうです。


それでもようやく家族4人での暮らしに
戻れたということです。
4人で生活していたころから
2年があっという間にたっていました。


今日も祈りのうちに

在宅生活5日前

来週からの在宅生活のために
いまは大急ぎで色々な準備中です。


最大の悩みは
お部屋の片づけ、動線づくりなのですが
これがいっこうにすすみません!


2年前の5月19日
手術をするために大学病院に入院しました。
この時はもちろん歩いて
言語に障害は出ていましたが
全体的には健常者の身体でした。
手術の日までは
面会から帰る時も出口まで送ってくれていた。
そんな日がありました。


ようやく在宅になるので
これまでのこと、もう一度記録にまとめます。


2016年5月連休中に言語がおかしくなる
同年5月6日 初診
自分の職場の病院→地域の総合病院
数日後に地域の総合病院から大学病院へ紹介・受診
5月19日 大学病院へ手術のため入院
手術の日まで、覚醒下手術のための訓練
5月30日 覚醒下手術 (9時~21時半くらい)
5月31日 HICUにいた夫は右半身ほぼ動けず
その後は放射線治療や治験薬(ニボルマブ)の治療
治験はアレルギー(薬疹と高熱)にて中止
テモダールも内服で使っていたので
アレルギーを疑いニドランに切り替えた
同年8月にニドラン1回目の治療
同月末に大学病院を退院、同時に療養病院へ入院
6~8週間に一度のニドランの治療のために
大学病院へ入院、再度療養へ戻るを繰り返しながら
2017年4月頃から療養の退院計画をはじめる
同年6月にはリハビリ訓練施設である
高次脳機能障害支援ホームへの入所がほぼ決定し
入所待ちをしていた
同年7月の大学病院での治療の際に
「再発膠芽腫」となる(再発)
その時から薬をニドランからアバスチンに変更
再発の送りにより、施設入所を一度は断られる
なんとかかけあって、8月の治療の際に
再発病巣が良くなるかによって入所を決めたいと
いうことを言われる
同年8月アバスチン2回目治療入院
そのときに再発部分は小さくなっていた
経過良好ということだが9月3回目の様子を見てから
施設入所の許可が出ることになる
同年9月アバスチン3回目治療入院
経過良好により施設入所の許可がおりる
同年10月療養病院退院、同時に施設に入所
7か月間の予定
2018年5月24日施設退所日となる
そこから在宅生活になるため
現在はプラン作成中


この間に色々なことがありました。
全てを受け入れてこられたことが不思議です。


さまざまな問題に直面し悩みました。
まずは大学病院を退院するとき
在宅生活になるために必要と言われた
介護ベッドや入浴用椅子、
また、本人に使うための補装具
すべてを考えもせずに用意していたら
いったいお金がいくらかかっただろうと思います。


その時は介護ベッドを購入することや
レンタルすることをネットで調べ
問い合わせもしました。
結果的には、母のケアマネさんが
介護と同じくらいの料金でレンタルできる業者さんを
紹介してくれたので、とても助かりました。
ベッドは購入しても不要になった際の
処分が大変だし、身体の状況に合わせて使うなら
だんぜんレンタルがいいと思います。
補装具は当時大学病院のリハの先生に
強く勧められましたが
長く使えるかはわからなくて
やはり、身体の状況によるということだったので
本人と話し合って作りませんでした。
その時に作っていたら、たぶん自費かまたは
3割負担でした。
後になってから施設のリハの先生に勧められて
作ることになりましたが
その時はすでに障害手帳も持っていたし
健保と福祉と両方から還付があるので
靴代だけで済むことになりました。


たくさん考えてたくさん悩み
答えを出しながら歩いてきた道


状況の受け入れはすべきですが
その都度、考える必要はあると思います。


行政の手続きはなんでもすぐすぐには
処理されません。
それまでの間をどうしていくか
手探りでやってきましたが
あの時こうしなくてよかったと思うこと
たくさんあります。


もし、同じ病気で悩んでいる人がいたら
多くの場所、多くの人に聞きながら
大変だけれど考え行動することを勧めたいです。
夫が働けなくなること自体が
家族への経済の影響が大きいのですから。


今回、在宅になることの不安はありましたが
今は、プランを考えることも
たのしくなってきました。
「できること」は探せばきっと
出てくるはずです。
あきらめないで、家族は
「大変さ」よりも「楽しさ」を
探せられたら幸せだと思います。


今日も祈りのうちに