祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

在宅生活1か月

この1か月の間に
多くのことを考え
多くのことを夫と話し
多くの人に出会いました。


結果から言うと、夫は6月の6日に
要介護認定されました。
要介護2です。
ここから話は一転して、これまで障害で
支給されていたサービスがこれからは
介護のサービス優先になります。
これは選択ができません。
夫は介護認定が難しかったので
在宅生活になった5月24日から
障害の方で
自立支援給付と地域生活支援給付を
いただいていました。内訳は
自立支援が(黄色のカード)
居宅身体介護 30.5時間/月
居宅家事援助 16.5時間/月
通院等介助(身体介護有) 6.0時間/月
地域生活支援が(オレンジ色のカード)
移動支援(身体介護あり) 16時間/月
これらの組み合わせで在宅ケアサービスを受け
月・水・金で正午から14時まで
入浴介助と昼食の配膳
木曜は散歩と昼食の配膳
火曜日は病院へリハビリに行っていましたが
こちらは自費での福祉タクシーでした。
移動支援で交通機関を使って行ってくれる
ヘルパーさんが見つからなかったから、自費でタクシーでした。


福祉用具の手すりなどですが
障害では一定の金額支給があり
レンタルはなく、すべて購入のみ
工事を伴うことはできず、備え付けるもののみ
こちらは玄関の突っ張り式手すり1本だけでも
かなり高額で支給される金額を軽くオーバーして
しまいます。


いろいろと悩んでいるうちに
介護認定されたので
これらすべてが介護保険を使って1割負担で
あれこれとできることになったのです。


ひとり悩んでいたところにも
ケアマネさんが入り、手厚く色々と
やってくれることにもなったのです。


今日も祈りのうちに

膵臓がんの記録

膵臓がんを持つ父のその後の記録


父の膵臓がんは先月のCTでは
約47ミリ
膵臓の大きさからみて、半分近くを占めるように
なりました。
50ミリを超えると痛みや色々な症状が
出るかもと言われましたが
腰の痛みを訴えています。
ただ、主治医の先生の診察では
今のところ転移もないし
膵臓の痛みではないと言います。
春頃、圧迫骨折をしたので
整形外科にもかかっていて
そこで脊椎狭窄もみつかっているので
痛みがどこからきているのか
あいまいです。
父は、10日くらい前からすでに出されていて
飲み始めていなかった
オキシコンチンを飲み始めました。


今週の初めころに
身体のかゆみがひどく、火曜日には
蕁麻疹様の発疹があちこちに出たということで
かゆみに悩まされ、病院を受診しました。
発疹がひいてきていたこともあって
アレルギーのお薬が処方されたのみでした。
診断としてはオキシコンチンの薬疹では
なさそうだということでした。
そうはいっても薬疹は
服用を始めてから1週間くらいたったころに
出ることもあります。
(夫がそうでした)


とにかく父はいまとても
体調が悪いのです。
食思はほぼないし
がんばって具のないスープ1杯とか
白いおかゆを少し、みたいな
食生活になっています。


言いようのない身体の不調、不快さと
たたかっているようです。


これががん患者の症状なのだと
自分の職場(病院)のスタッフからききました。
がん患者は痛みだけのつらさではなく
どうしようもないようなだるさや
身体の不調におそわれるのだそうです。


それでも急性期の病院では
主治医からの指示や今後の生活の提案などは
ありません。
私たち家族はいったい父にどれくらいの時間が
のこされているのだろうか、と
不安の中にいます。


父の意向はできる限り
家で過ごすことのようで
それも、いつもと変わらない生活を
望んでいて
身体をひきずるように
自宅の2階にある自分の寝室に
夜になると上がっていくそうです。


昼間はほとんどリビングのソファで
横になっている状態です。
歩くことも座っていることも
長い時間はできない感じです。


わたしたちにできることは
いったい何だろう、と
妹と色々と意見を出し合いました。
取り急ぎ、ケアマネさんに連絡し
訪問看護をお願いしました。
すぐに手続きをしてくれるそうです。


主治医にMSWを通して面談を申し出ましたが
次回の7月の診察の時に
父も同席の上でお話します、との返事でした。
家族だけで色々と本当のところを聞きたいのですが
主治医はあくまでも本人のいないところでの
説明はしないようでした。


次回の診察では
緩和ケア外来のことをきいてみるつもりです。
急性期の病院は、治療のできないがん患者の
さいごの過ごし方については
家族が決めることと考えているようです。


お別れする日が近づいている
日々そればかり考えています。


さいごの過ごし方は
本人や家族が探して考えること
そういう場所までもう来てしまっている


ただ、父はそうは思っていないのかもしれない。
言葉の端々に希望の言葉が見えるときが
あるから・・・・・・


心はざわつくばかり
それでも、家族として
できる限りの父の希望の生活の質を
保てるように支えたいと考えています。


今日も祈りのうちに

いまだにわからない障害者の生活

いったい何が出来て何ができないのか
本当にわからないままの出発になりました。
福祉事務所からの受給者証は出ましたが
2種類あって(黄色のカードとオレンジ色のカード)
使い分けして支援を受けることになっていますが
どれがなんだかわからない。
これについては福祉事務所の担当者が
もっと詳しく説明してほしいです。
相談支援事業所の相談員が
実際のケアプランをつくってくれますが
相談員さんが自分のこれまでの経験や
情報を使って、障害に関して素人の私に
多くの提案をしてほしいところも
なんとなくうまく運んでいません。
移動支援をしてくれるヘルパーさんがいないので
介護タクシーとして動いてくれる事業所を
知人に紹介されて、とりあえずリハビリの通院時の
復路を契約しましたが(往路は私がします)
その事業所のドライバーさんと相談員さんは
言い合いのようになってしまったらしく
なんだか相談員のプロ意識を
疑うようになってしまいました。
ドライバーさんはとても職業意識が高く
相談員を変えた方がいいとまで言い
市区町村が違うのに私の居住地の中で
色々とあたってまでくれました。


こんな状況の中で
どうやってやっていくのだろうか・・・
仕事も手につかず、障害関連のあちこちを
検索ばかりしています。
心はさわぐばかり。
私が今いちばんしたいことって何なんだろうと
じっと考えてみたら
泣きたいことだった。
ひとりで考えることにつかれました。
大きな声で泣きたいです。


今日も祈りのうちに