祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

ホスピス入院を待つ~追記

前回の記事の追加です。


ホスピス担当医の先生は
もともと外科医として活躍していたこともあり
父にこう言いました。


今、膵臓がんの画期的な治療が発表されたら
すぐにでも〇〇さんのことを
治療のラインに乗せますよ!
そのつもりでいてくださいね


父は寂しそうに笑っていました。
でも
嬉しそうでもありました。


医療って本当のところなんでしょう?
心に響くものでなければ
本当の医療ではないように思えてなりません。


どんなに有名な
どんなにカリスマなドクターに診ていただくチャンスが
たとえあったとしても
もし、心に響く医療でなく技術だけであるなら
診てもらいたいとは思わないかもしれない


私たち家族が父と過ごす
さいごの時間を大切にしたい気持ちを
理解してもらえる医療者さんたちに出会えたこと
感謝したいと思います


今日も祈りのうちに

ホスピス入院を待つ

膵臓がんの父の記録


今日の午後、父を連れて

最初に見学したホスピスのドクター面談を

して来ました。


病院について、車椅子を借り

車から降りた父を乗せて

医療連携室の扉をたたきました。

先日面談をしたくださったソーシャルワーカーさんが

お部屋に案内してくれて

医者との面談には立ち合いませんが

始めと終わりのお手伝いをします、と

先日のように静かな声で

お話されました。


しばらく待って先生がみえ、

父と話を始めました。

ホスピス担当医のこの先生は

偶然にも父の通う急性期の病院で

かつては父の主治医と一緒に外科でバリバリ

働いていたという先生でした。

なので、主治医からの診療情報提供書を見て

◯◯さんは、ホスピス入院のこと

どう考えていますか

とまずは質問し、父がまだもう少し先かと

思うと答えると

トイレは自分で行かれていますか、と

質問しました。

父は、行かれているとこたえましたが

この先、トイレが間に合わなかったら

自分で速やかに処理できるかという話になり

先生は、失敗はしたくないよね

そんな時に限ってバツ悪く娘さんが

現れたりしたら余計にいやだよね?と

そんな話から始まりました。


ホスピスを決心したら

本当に何もできなくなってとても悪い状態で来るより

自立のうちに来た方が、ホスピスでより良い時間を

過ごせます。

◯◯さん、もうあっちが悪いから治療

こっちが悪いから検査とか、そういうことも

もうしないで、好きなことをしながら

過ごすこと考えていいところにいます。

先生は、父がホスピスに適した患者と

みているのだ、そう思いながら

先生と父のやりとりを妹と黙って聞いていました。

父は私の病名は何になるのですか?と

もちろん膵臓がんのことは知りながら

先生にたずねました。

先生は、静かに

「膵臓がん終末期です」とこたえました。


父は、主治医の先生にどうするのかを

任せて来たからと言うと

主治医の先生は、自分の患者のことは

さいごまで自分がみると思っているものです。

自分も外科にいた時はそう思っていた

ホスピスの希望が出た時には

なんだ、あいつのところに行くのかと

思ったとおもう

色々な先生に出会ったとおもうけれど

自分をさいごの先生と思ってください、と

先生の言葉にはすべてが事実のありのままでしたが

暖かさが感じられました。


妹と私には、

もうお父さんのことばかり

考えていろんなことを犠牲にしないで

自分のことも考えてください

お父さんはワガママもいうかも知れないけれど

いつも娘さんたちにごめんね、と思っています

もうそればかり思わせるのはやめて

こちらにお任せしてもらえたらと思います

ホスピスは、検査も治療もしませんが

がんを治すのではなく、より良く過ごせるように

考えるところです

でも、全く何にもしないわけではなく

患者さんが、何も飲めないから点滴してといえば

しますよ

これをするのは良くないとか言うことではなく

すべてが患者ファーストなのです

先生の言葉を聞きながら

涙をこらえるのがやっとでした。


父は、ホスピスに登録することにして

連絡を待つことになりました。

先生は、退室する時に父の肩に手を置き

「待っているからね」と

にっこり暖かな笑顔を向けました。

何かあれば待っている間でも

連絡してくれていいからとも

言っていただけました。


父は本当にいつも良い先生との

出会いがある人だと思います。


神様、どうか父が残された時間を

穏やかに、幸せに過ごせるよう

お守りください。


今日も祈りのうちに

ホスピスというところ

膵臓がんの父の記録


日々弱々しく見える父のことを考えて
2か所目のホスピス見学をしてきました。
1か所目と同じく、父の通う病院と同じ市内の
病院からも近いところです。


父の通う病院はいわゆる
「病院街通り」と言われているくらい病院が
集まっていて、すぐの距離のところに
ホスピスが3件あるのです。


2か所目に見学したホスピスも
1か所目と同様にキリスト教の病院です。
あらかじめ連絡してアポをとっていた
ソーシャルワーカーさんに約束の時間に会い
父のことについて質問をされたり
ホスピスについての説明を受けたりしました。
そのあと見学させていただきました。
1か所目のところのソーシャルワーカーさんとは
1時間くらいお話をしましたが
今回は早いペースでのお話で、すぐに見学となり
見せていただいた病棟は1階のお庭に面したお部屋でした。
ふつうのおうちのお庭のような感じになっているのですが
何故だか、私には寂しい感じに見えました。


いただいた説明の用紙にも
「死ぬ場所ではありません。どんなふうに良く生きるかの
場所です」とあったのですが
それ以外にも治療的なことは何もしません、とあったり
看護師は独り占めできません、とも書いてあったことなどの
印象が良くなかったのか
孤独な人が来る場所のように見えてしまいました。
強い意志を持った孤独な人が
もう治療はしないと決めて、最期の日を待つ場所
そんなふうに思えてしまいました。


1か所目に見たホスピスと何がちがうのか・・・


逆にこの日に行ったホスピスの方が
本人が望めばすぐにでも入れるような感じはありましたが
あくまでも本人が望めばということだと言われ
家族の気持ちに寄り添う感じがあまりなかったのか・・・
また、100人の待機者がいたと仮定すると
90人はいますぐの人ではなく
10人が今すぐの人で、いますぐではない90人には
ベッドの空きが出ても声はかけないというのです。
あくまでも本人が希望してきてからのこと、という説明でした。


ホスピスの入院は本人の希望であることはわかるのですが
その説明が家族の気持ちはどうでもいいみたいに
聞こえてしまったのかもしれません。


そこのホスピスを出て車を停めていた駐車場まで来た時に
妹と、「どうする?」と話したら
妹も私と同じ気持ちだったようでした。


私たちは1か所目のドクター面談で
登録できることになったらそこを待とうという意見で
一致しました。
1か所目のホスピスには、こんなふうに書いてあるのです。


ホスピス・緩和ケアでできること
ホスピス・緩和ケアでは手術・放射線・抗がん剤など体から
がんを取り除く治療は行いませんが、がんによって
引き起こされる”辛さ”を取り除く(緩和する)ための治療や
ケアを行います。飲み薬や点滴などによる治療はもちろん、
心を込めた看護や介護、補助療法などで心地よく過ごして
いただくことは、人の心身の辛さを和らげる大きな力を持っています。
お金や生活上の困りごとでお悩みの場合は、その解決に向けて
医療ソーシャルワーカーがお手伝いします。
(途中略)
何が”緩和”に繋がるか、常に患者さまや近しい方と話し合いながら
その想いに寄り添い、より良いと思われる方法を実践すること、
これを「緩和ケア」「緩和治療」と呼んでいます。


この文章を読むだけで、とても安心感があるのです。


同じキリスト教のホスピスでも
やはり、見学と面談してみるべきだと思いました。


父は昨日の診察で主治医からホスピスへの
診療情報提供書をいただいたので
明日、1か所目に行ったホスピスでドクター面談に
連れて行こうと思います。


今日も祈りのうちに