祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

ICの日

今日の夜、MRIの結果と
今後の予定について先生から説明があります。
MRIは水曜日に終わっているけれど
昨年再発の時には、ICの前に
電話連絡がありました。
今回、電話がないからたぶん大丈夫
そう思っています。


夕べは何度も目が覚めました。
暑さのせいもあるのですが
今は毎日が父のことで頭がいっぱいなのです。
ブログもすっかり父の記録が
多くなってしまいました。


昨日、実家に行くと
父はお腹が痛むといって
体調が悪そうでした。
前回、麻薬のせいでお腹がはって
苦しくなるということで
痛み止めが麻薬ではないお薬に変更になったせいか
やはり父に起こる痛みは
膵臓がんのせいのような気がします。
そんな姿を見たせいか
父が緊急入院した夢を見ました。


ホスピス待ちなのですが
待っているうちに入院となり
一般病棟へ入院したというかなりリアルな夢でした。


父はできる限り日常の中で過ごすことを
望んでいるのだと思います。
母の物忘れをわたしたちが注意していたり
ネコのいたずらを叱っていたりする
ごくごく平凡な日常


ある本で読みましたが
死は日常の延長線上にあるのだそうです。


病人はあたりまえのような空気の
日常をいちばん望んでいるのかもしれません。
不自由になった自分を
ベッドの上や病人扱いな日々におくのではなく
普通の生活の中におく


きっと夫もそうなのでしょう


今の状態の良くない父を見て
母は食思のこと、体重の減少のことを
いつもいつも気にして言葉にしますが
父の前ではふつうにしていてほしいです。


食べたくない食事を無理強いしたり
すっかり落ちてしまった体重のことを
話題にしたり
それはやはりしないほうがいいに決まってる


母も動揺がおさえられず
そちらのケアもしなければなりません。


父も夫も
普通に流れていく日常の中で
過ごしてほしい


それでも今の父にホスピスは
やはり必要なのだと思います。
今日も肌身離さず携帯を持ちながら
連絡を待っている私です。


今日も祈りのうちに

訪問看護(父の記録)

膵臓がんの父の記録


先日の火曜日に父のケアマネさんが
月に一度の訪問日でした。


その日にお願いしていた
訪問看護ステーションの看護師さんを
連れてみえました。


先週、主治医の診察の時に
ホスピスの申し込みの件と
訪問看護の件をお願いしていました。
ケアマネさんに連絡して
その旨を話すとすぐに手配してくださいました。


訪問看護は主治医の指示書が必要なので
ケアマネさんが連絡を入れてくれました。
(主治医には話してあったので)
状態が終末期ということで
介護保険ではなく、医療保険扱いになると
言われました。


父はごくノーマルな看護を希望していたので
とりあえず、24時間対応はしないけれど
母が父と二人の時に急変したりしたら
動揺してしまうという話をすると
訪問看護師さんは、サービスとして
昼間の時間帯は電話をいつでもしても
かまわないといってくれて
とても助かりました。


ノーマルな処置としてできることは
ハッカ油を使ったマッサージとか
時には点滴も、医師を同行して対応できると
いうことでした。


父の意向は重病人のようにしていたくないので
ふだん横になるのも相変わらず
介護ベッドは使わずにソファだし
訪問看護も「やあ、こんにちは」みたいな
感じで受けたいみたいです。


ホスピスが決まるまでの間ということも
ケアマネさんには報告しているので
緊急一時対応みたいになってしまいますが
とりあえず、訪問看護を受けることは
家族が安心にもつながります。


ホスピスの申請から1週間がたちました。
いつも仕事中も携帯を持ち歩くように
なりました。
早く連絡が来てほしい反面
いざ入院が決定すれば、
外出、外泊で自宅に戻れるかもしれないけれど
父が過ごすターミナルに向かうのだと思うと
夜になって今日も連絡はなかったことに
安堵してしまうのです。


それでも日いちにちと
父は弱っていくように見えるし
食事もほんの少々しか
摂取できなくなっています。


やはり早く連絡がほしい


今日も祈りのうちに

アバスチン10回目

月曜日から夫は大学病院に
入院しています。
アバスチン10回目の治療とMRI検査のためです。


今回のMRIで特に異常がなければ
アバスチン治療をいったん終了する予定です。
昨年7月に再発してから1年たちました。
このまま、穏やかな日々を送ることが
ずっとずっとできるのでしょうか。


がん終末期を過ごしている父のことで
今は頭がいっぱいです。
せめて夫がこの様子を保って
すごしてほしいです。


今日も祈りのうちに