祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

眠りの中で(父の記録)


膵臓がんの父の記録


父は眠り続けています。
水曜日に行ったときには、
少し目を開けた時間がありました。
言葉にならない声で、母を呼んでいました。
そしてまた目を閉じる
少し安定していた水曜日


木曜日、病棟につくとステーションから
先生が出てきて
「お父さん、悲嘆が大きくてね」
と話しはじめ、木曜日の朝に先生が訪室して
カープが勝ったね、と話をして退室するときに
もう一度父に呼ばれて
「もう最後にしてほしい」と
先生に懇願したそうです。
がん患者の苦悩、スピリチュアルペイン
まさに痛みとは別の苦しみの中に
父はいるのでした。
がん患者の痛みはトータルペインと言われて
身体症状の他に精神的、社会的
スピリチュアルな因子が身体的痛みを修飾すると
いわれています。
医療者は、患者の心理、実存的苦痛への
アプローチを考えなければならない
実存的苦痛とは
・もう何の意味もない
・早くお迎えがきてほしい
・死んだら何も残らない
・だれもわかってくれない
・人の世話になってまで生きていたくない
・なんの役にも立たない、申し訳ない
終末期がん患者は癌性疼痛以外に
このような苦痛を抱えているのです。
父の訴えはまさにこれでした。
先生はプライドのある人、インテリジェンスなひとほど
こういった苦痛の訴えがあると
言っていました。
先生から、このような父のために
ゆっくりと眠れるように
座薬を使った鎮静をしていると言われました。
こんこんと眠っているけれど
苦痛表情が見られないかのチェックは
たびたびしているからということでした。
母は起きてくれない、話ができないと
悲しそうにしていますが
私たち姉妹は、終わりにしたいほどの苦悩を
抱えている父だから
このままゆっくり眠っていていいよ、と
言いたいです。
時々病室を出てソファのあるデイルームへ
休憩に行っています。
水曜日にはボランティアさんが
休憩していた私たちに声をかけてくださり
ひきたてのドリップコーヒーはいかがですか?と
人数分をすてきなカップに入れて
ふるまってくださいました。
緩和ケア病棟にきてよかったとおもいます。
私たち家族の苦痛にも
あたたかなおもてなしを感じます。


眠っている父は
いつ、永遠の眠りに入るか
わかりません。
飲食できなくなって10日が過ぎました。



今日もいのりのうちに

さようならを言うまえにありがとうを(父の記録)

膵臓がんの父の記録


昨日は長野から甥っ子が父に会いに来ました。
父は嬉しそうに19歳の甥っ子の頭をなでて
一緒に写真も撮りました。
笑顔の父


話していると少しせん妄がちです。
でも、わたしたちはゆっくりと
父の話を聴いていました。
お話できたのがもしかしたら昨日でさいごかも
しれません。


今日はお昼に夫を車椅子に乗せて
一緒に父の病室を尋ねました。
病室に入る前にステーションから先生が出てきて
もう、飲み薬飲めません
注射にしています
覚悟の時期だと思います
と、言われました。
父に会いに行くと、眠っていて目を開けません。
何度も呼んでみましたが、目は閉じたまま
わたしが「ありがとう」というと
ちょっとうなずいたようにも見えた
夫も「ありがとう」を言っていました。


私たち家族は
この偉大な父に本当に助けてもらったのです。
父の助けがなければ今の生活はありませんでした。


眠りの奥で父は何を考えているのでしょう。
私たちと幸せに暮らした時代を
見つめているのかな
先にいってしまうのですね。
私たち、先に旅に出る父のこと
見送らないとならないのですね。


感謝の言葉しかない
本当に本当にありがとう
もう一度、目を合わせてありがとうを言いたい
私のありがとうが
父に聞こえていますように・・・


今日も祈りのうちに

緩和ケア病棟にて(父の記録)

膵臓がんの父の記録


9月6日に父は緩和ケア病棟に転棟しました。

ひとつ上の階に移動しただけですが

緩和ケア病棟は、病棟全体が温かみのある

まるで家のような雰囲気です。

ナースステーションには熱帯魚の水槽があり

病室の窓には障子がついています。


担当ナースが決まっていて

もちろん休みの日は別のナースがお世話して

くれますが、とにかくみなさんあたたかく

優しいです。


父はもうほぼ食事はとれなくて

足には力が入りません。

それでも自力でトイレに行こうとするので

その都度コールしてください、支えますと

言われています。


体重は50キロをすでにきっていますが

身体が大きくて、もともと183センチの身長なので

介助も大変なのですが

スタッフはいつも笑顔で介助に来てくれます。


震える文字で、レスキュー薬の服用時間をメモしています。

私は手をアロマオイルでさすり、

お茶にはそーっとルルドのお水を

数滴入れました。


ブドウを2粒ほど口にしますが

飲み込むことはできずに、水分を含むだけで

ティッシュに実の残った皮を出します。


広島カープの応援も、もうできません。

土曜日には2人体制でトイレ介助できるように

少し広めの特別室に転床しました。


土曜日は、母も姪っ子も面会に行き

3時間くらい過ごしました。

病棟のリビングでは家族も自由にお茶できます。

妹とコーヒーブレイクもしました。


私たちは父を囲んで写真を撮りました。

痩せて病人となった顔では悲しいかと思いきや

写った画像を見たら、何枚も全て

とてもいい笑顔の父でした。


妹が父から頼まれていた本を届け

父は手に取り少しページをめくりましたが

「残念だけどもう読めないな」といいました。

新聞だけは少しだけ見ていました。


日曜日、長女と病室を訪れると

父は、口呼吸で眠っていました。

呼んでも呼んでも起きません。

ナースに聞くと、朝からこんな風と言っていました。

それでもトイレにだけは、支えられながらも

行っています。

今日はもう新聞も読めません。

すこし部屋を出て戻ると、起きたので

急ぎ、遠くにいる父の妹に電話し、

話をさせてあげました。

そのあと、今度は家にいる母に電話をし

母が知り合って63年たったといったら

「163年、幸せだった」と父が言いました。


電話を私にかわったので、母には

100年プラスされるほど幸せだったんだねと

言いました。

母は嬉しそうでした。

きっと泣いていたけれど

幸せだったと言ってもらえて、母は本当に

幸せな人だと、私も涙をこらえるのが精一杯でした。


こんな風なターミナルケアでいいのかな

私、ちゃんとできてる?

お父さん


父の手をさすり、握手してみると

まだまだ力強い

さいごの会話になるかもしれない

さいごのアイコンタクトになるかもしれない

そう思いながら、病室を後にするのでした。


今週から、仕事を半日にしたりしながら

母を毎日会わせてあげようと思います。


今までは1時間から2時間おきくらいのペースだった

レスキュー薬のオキノームが

今日は3時間くらいあいていました。

木曜日から徐放性の定時のオキシコンチンが30mgに

増量されたからなのか

身体が弱り、予防的な要求ができなくなったのか

どうなのでしょうか。


死を恐れているような感じも

だんだんしなくなっています。


人はさいごにはこのようにきちんと死を

受け入れていくのでしょうか。

健常者の私にはわかりません。


今日も祈りのうちに