祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

記録

家族の病気の記録を残します。


2014年12月 父 COPDのため禁煙
(12月31日 禁煙記念日)
2015年7月 父 飲み込みに自覚障害があり
呼吸器科の先生から、消化器外科で胃カメラを
勧められ検査 胃がんがあることがわかる
2015年8月 父 胃がん手術のための入院
COPDがあり、高齢のため呼吸器リハをする
2015年9月 父 胃がん切除の手術(80歳)
胃を2/3ほど切除 進行性のがんと言われる
5年生存率50% 抗がん剤服用で60%
その後1年間、抗がん剤TS-1を服用
高齢のため、内服薬のみ


2016年5月 夫 左側頭葉の脳腫瘍があることがわかる
自覚症状は突然の人の話が理解できない
言葉が出てこないことから受診・検査
頭痛・吐き気などは全くなし
2016年5月 夫 大学病院にて覚醒下手術
悪性膠芽腫(G4)の診断 95%以上の摘出に成功
ただし、右半身は麻痺、右目半盲
2016年7月 ニボルマブの治療(治験)
アレルギーで発熱、発疹のため中止
2016年7月 ニドランと放射線治療
2016年8月 放射線治療の終了で大学病院退院
その後、療養病院に入院
定期的なニドラン治療のための大学病院への入院を
しながら、それ以外は療養病院で生活
2017年7月 再発
ニドラン治療を中止し、アバスチン治療へ
アバスチン4週間に1度の治療7回
その後8週間に1度の治療3回


2017年7月 父 膵臓がんがみつかる(82歳)
自覚症状は特になし
手術(摘出)の選択肢はほぼなし
理由は、糖尿病など、他の機能を悪くしてしまう
高齢であることもあり、QOLはかなり落ちてしまう
寝たきりで生きて行くより、今をやりたいように
生きることの選択を遠回しに提案される
2017年10月 父 膵臓がんの抗がん剤治療を希望
高齢であることを考え、薬の量を調整しながらチャレンジ
1回目は入院して行う アブラキサンとゲムシタビン点滴
週1回を3回・1週休みのセットを3回予定
白血球の検査をしながら行い、1-①施行 ②中止 ③施行
2-①施行 ②施行 ③施行
2017年12月 父 3セットめの抗がん剤を施行する前に
微熱が続いて受診 肺炎の疑いのためすぐ呼吸器科入院
解熱せず、肺炎は要注意状態になる
結果的に抗がん剤による薬剤性肺炎と診断され、その後の
抗がん剤治療を中止 膵臓がんは治療のすべを失う
2017年1月 父 退院 入院中に介護再認定調査により
要介護2となった 
呼吸器科で進められていたできるだけ歩くという課題も
足腰がすっかり弱くなり難しくなる
入院前まで乗っていた自転車も乗れなくなる
自宅で横になっていることの多い生活になった
(ただし、日中はベッドで寝ることはなく、ソファですごす)
通院しながら呼吸器、消化器の両方を様子見
2018年6月 父 痛みの訴えはないものの
日常生活がずいぶん困難な様子になって来たので
病院のソーシャルワーカーに初めて相談
そこで、急変時に通院している病院で受け入れは可能だが
ホスピスの見学を提案された
2件ホスピス見学 
2018年7月 父 緩和ケア(ホスピス)面談と登録
2018年7月20日 ホスピスのある病院の一般病棟に入院
緩和ケア 主にオキシコンチンとオキノーム服用
食思ほとんどなし


2018年7月 夫 アバスチンいったん終了
次に再発した時のために薬から身体を休める


2018年8月 父 週末ごとに自宅外泊をしながらの
入院生活 自宅で少量のステーキとウニを食べるのが
楽しみだった
8月後半は足首から下のエデマがひどくなり
大きめの靴、浮腫用ののびる靴下などを購入


2018年9月6日 父 ホスピス病棟に転棟
この日に葡萄を所望し、2~3粒食べる
この日以降はほぼ飲み込み不可になってきた


2018年9月17日 父 帰天


2018年9月20日 夫 MRI検査で
ごく小さなあやしい影あり(緊急性はない様子)
2018年11月に詳しく検査予定



今日も祈りのうちに

感謝と祈りのうちに

膵臓がんの父の記録


父は苦しみから解放されました。

9月17日、夕刻

静かな日没の中で父は永眠しました。


この日の午前に家事を終えて

一息ついていた時に

携帯が鳴り、○○病院との表示に

胸の鼓動が早打ちになりました。


明け方からレベル低下になっているから

何時に来られますか?と聞かれました。

支度してすぐ行きますと答えて

妹に連絡したら、ちょうど長野にいる甥が

車でもうすぐ着くところと言うので

それぞれに車でむかいました。


母、私、妹、孫が4人

父のベッドを囲みました。

1人ずつ近づいて呼ぶと

大きく見開いた目がうなづきます。

誰が来たかわかるのでしょう

父は、1人1人をしっかり見ていました。


やがてお昼を過ぎ、

父の早い呼吸と誰もが父を見守る静寂な時間が

過ぎて行きました。


長男が近くのコンビニで

おにぎりやサンドイッチを買って来たので

妹と相談して家族室を借りることにしました。

家族室はダイニングキッチンと和室があります。

テレビも自由に見ることができました。

私たちには、日中は無料で使わせてもらえて

お泊りしたい希望があれば

有料で泊まれることになっていました。


病室にずっといれば

張りつめた空気で厳しくなるので

私たちは適度に家族室や病棟のデイルームを

利用しながら過ごし、夕方になりました。

妹が朝のうちにカレーをたくさん作って来たから

母と子供たちをいったん帰らせよう

私たちで、父に付き添うことを

考えようと話し

子供たちは1人ずつ父に近寄り

また来るねと言いました。


妹を残して取り急ぎ私と子供たちで

駐車場まで降りました。

エンジンをかけてすぐ携帯が鳴り

妹からすぐにきて!と言われて

私たちはすぐまた病室に引き返しました


病室に入るとすすり泣く妹がいました。

すぐそばであんなに努力呼吸をしていた父が

静かに眠っている

看護師さんが深々と頭を下げました。


父は永遠の眠りについてしまいました。


しばらくご家族でどうぞと

看護師さんは退室しました。

私たちは1時間くらい二度と目を開けない父のそばで

たくさんの感謝をし

頑張った父をねぎらい

それぞれに心の思いを父に向かって伝えました。


ほどなくして父の孫がもう1人きて

父は母と私たち2人姉妹と

孫5人の全員に看取られて

先に旅立って行ったのです。


ここのホスピスは霊安室に運ぶことなく

小さな優しい花束をナースが用意してくれて

お部屋から運ばれて

父は自宅に戻りました。

着衣は、いつもよくきていた

アーガイルのカーディガンと

気に入っていたリネンシャツと

入院したときに着てきたスボン


自宅のリビングの父がいつも座っていた

最後の頃は横になっていた場所に安置し

みんなで父のそばに集まりました。


もともと誰も呼ばずに

家族だけでささやかにおくることに

決めていたので、特別な形のお通夜もなく

家族が交代で見守りました。


私は横になっても眠れず

明け方近くに、思わず車に乗って

3年以上の月日を、父と向かった病院までの道を

走りました。


ほんの数時間前に荷物をまとめて出た病院のそばに

所属教会があります。

そこにしばらく車をとめて祈りました。

真っ暗な静寂しかありませんでした。


父はとうとう膵臓がんとの闘いを終えました。

眠っているその顔は

穏やかで優しい微笑みの顔

父は優しい仏様になりました。


ちなみに夫は

早めに契約だけしておいたショートステイに

いきました。


感謝と祈りのうちに

たくさんの慈しみ(父の記録)

膵臓がんの父の記録


父は頑張っています。

今日は午後の面会の間ずっと起きていました。


昨日、リラ・プレカリアという

祈りのたて琴で

患者の呼吸に合わせて

詩編を歌ってくださる方が

父の病床で1時間以上も

美しい弦を響かせてくださいました。


私と妹、母とで

父の手をとりながら

静かで美しい祈りを聴きました。


この間は、プライベートタイムの札を

ドアにかけて、誰も訪室しないでもらえました。

こういう気遣いが素晴らしい!


今日は病院で土曜コンサートがあり

緩和ケア病棟のデイルームに

歌を歌う方がみえました。

スタッフさんたちが父のところに来て

コンサート行きますか?と聞いてくださり

父は頷き、移動用酸素に付け替えて

ベッドのまま、デイルームに連れて行って

いただきました。


父と一緒に歌を聴いた後

スタッフさんたちはベッドを病室に運んで

私はデイルームで牧師さんに声をかけられ

緩和ケア病棟に来て初めてチャプレンと

お話できました。

ボランティアさんが綺麗なカップに

ドリップコーヒーをいれてきてくれました。


牧師さんは世代の近そうな女性で

お茶をいただきながらソファでしばらく

お話しました。


緩和ケア病棟に来られてよかったこと

自分の職場も少しずつ緩和ケアのことを

学び始めていること

私は、大阪にある淀川キリスト病院を

一度見学したいことを話したら

牧師さんは、淀川キリスト病院を見て

この道を選んだことを話されました。


私たち姉妹は父の苦悩がわかるので

出来るだけ穏やかな中での看取りを

望んでいるけれど

母は、まだお別れすることが受け入れられなくて

そちらのケアが大変そうなことも

話しました。

牧師さんは、さいごに私ために

祈りをささげてくださり

さらに父のところに行き

私たち家族のことも含めて

祈ってくださいました。

父は牧師さんに小さな小さな声で

63年と言いました。

私から父と母の出会いからの時間ですと

説明しました。

父は母のことを本当に大切に思っているんだな‥‥


牧師さんには家族もいて

カトリックの司祭とは違う

私たちにもう少し近い存在を感じました。


こんな風に多くの慈しみを受け

幸せです。


父を見送る時間が

あたたかな優しい時間で幸せです。

私も今日は父のために

たくさん祈ることができました。


この時間があとどのくらいか

長く過ごせるのか

もうすぐなのか

神様に全て委ねよう


今日も祈りのうちに