祈りのうちに

夫の突然の脳腫瘍、物語を書きかえながら、すべてを受け入れる
日々をつづりたいと思います

奇跡(父の記録)

膵臓がんの父の記録


先週金曜日、いつものように父の病室を

仕事帰りに妹と訪ねました。

父は、少し興奮気味に

今朝、奇跡が起こった!と言います。

お腹から足までずーっと溜まった水が抜けて

力がみなぎり、普通に立つことができたんだと

言うのです。

夢じゃなくて?とたずねたら

夢じゃないよ、5分くらいの出来事だったと

言っていました。

それなら自転車もいけそうだね、と言ったら

きっと乗れたよと言っていました。

自転車で買い物とかに行くのが好きだったから

自転車に乗れるようになりたいと

少し前までは話していました。


それと、珍しく神と自分と病気について

考えていると言っていました。

父はごくふつうの仏教の家の人間ですが

キリスト教の病院にいて

そんなことも考えるのかなあと

ぼんやり聞いていました。


病院付きの牧師さんに

訪室していただきたいな、と

思いました。



足の浮腫がよほど辛いのかと思って

(痛みはないそうですが)

翌日土曜日は、たらいを持参し

アロマの手浴と足浴をして

ラベンダー入りの馬油の保湿剤で

足を軽くさすってあげました。

父は気持ちいいな、と笑顔を見せてくれました。


足のエデマは、利尿剤がプラスされたせいか

すこーし、ひいているように見えましたが

足背はパーンとしていました。

足首あたりの腫れが前よりは

とれていました。


今は本当にやせ細ってしまった父の身体ですが

腫れている足先だけが異様です。


今週は週末の自宅外泊を見送ったので

足が悪いため、平日は父の病室には行かれない母を

土曜日に連れて行ったら

「お母さんは毎日ここに来て、座っているよ」と

父は言うのです。

幻視は家族だったり、飼い猫だったり

見知らぬ人だったり、自宅にある犬の置物だったり

様々のようです。


一生懸命、自立を保ちながら生きている父


帰るときには、もうベッドに横になって

すっと眠ってしまいました。

眠気、幻視、便秘がオピオイドの副作用です。

これらをコントロールしながら

常に痛みの評価や副作用の評価をして

オピオイドを続けることが緩和ケアの基本です。

日々、コントロールしてもらえているので

自宅で定時薬だけで過ごしていた時よりは

痛みの緩和はされていると見えます。


夏が過ぎて行く中で

枯れたひまわりやしぼんだ朝顔を見ると

とても悲しい気持ちになります。

限られた生を送っている人のそばにいることが

こんなにも辛く感じながらも

私の頭の中には、いつもいつも父の姿があり

そばにいて、もっともっと色々なことを

サポートしたいと思うのです。


今日も祈りのうちに

ACP(Advance Care Planning)

終末期医療を考える時
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)
というものがあります。
これは将来の変化に備え、将来の医療および
ケアについて、患者さんを主体に
その家族や近しい人、医療・ケアチームが
繰り返し話し合いを行い
患者の意思決定を支援するプロセスのことです。
医療側としては、患者さんの人生観や価値観、
希望に沿った将来の医療及びケアを具体化することを
目標にしています。


ACPでは何を話し合えばよいのか?


将来の変化に備え、患者の意思を尊重した医療
およびケアを提供し、その人生の締めくくりの時期に
寄り添うために必要と考えられる内容について
話し合うことが必要です。


メリットとしては、患者、家族の満足度が向上し
遺族の不安や抑うつが軽減する
しかし、患者や家族は最期まで病気に対する
治療を望むことが多く、医師も専門的緩和ケアや
ACPについて話すことができないまま
臨死期を迎えることも多い
臨死期になるとACPがさらに困難になることがある


ACPという機会をもうけるタイミングも
微妙に難しかったりする現実があります。
(急にそんな話をされて家族が動揺してしまったりなど)
そうはいっても病人のいる家族にとっては
オンコロジーエマージェンシーなどの急な展開も
想定して、日頃から医療者と信頼関係を
しっかり築いておくことが望ましいと思われます。


患者の語りに寄り添った援助をしてもらうこと
ひとりぼっちで死んでいくと感じさせないこと
もっとも簡単に言えばこれが第一だと思えます。


日常生活を丁寧に援助したケアがあれば
患者とその家族からは信頼感が生まれます。


これからの高齢社会にとっても
患者本人の意思や尊厳、家族の思いを
中心とするホスピタリティのある
医療現場になっていってほしいと思います。


今日も祈りのうちに



<参考文献>
「終末期医療 アドバンス・ケア・プランニング
(ACP)から考える」 日本医師会
「看護技術 2017年6月号」 メヂカルフレンド社

4回目の週末外泊(父の記録)

膵臓がんの父の記録


脳腫瘍ブログでいつも膵臓がんの父の記録に
なってしまっていますが
夫は落ち着いているので、こちらを記録します。


24日金曜日の夜に、父は
4度目の週末の自宅外泊をしました。


先週末の外泊の時から
足首から下のむくみが気になっていましたが
1週間たっても治ることもなく
ぱんぱんにむくんでいる状態です。


このむくみは、どうやら
がん末期の時によく現れる浮腫のようです。
いつもはいていた靴はきつくなり
見るからに腫れあがった足は
苦痛そのもののように感じてしまいます。
本人曰く痛みは伴わないもののようです。


この週末は妹とワンサイズ大きくて幅も5Eサイズの
靴を探してきました。
やっとのことで履いているという感じでした。
父はリハビリの時には靴を履くから
必要だというので、腫れあがった足を
靴に入れますが、見ているのもつらいです。


今週の外泊では、薬の量が増えてきているせいもあり
ふと見ると父はソファで眠っていました。
眠りに落ちている父の顔は
小さい頃に、寝ている父を起こしに行った時の
完全に脱力している父の寝顔と同じでしたが
どうしてか今はこの寝顔が悲しく見えました。


できる限り自立をしようとして
がんばっている父を見守る週末外泊が日曜の夜に終わり
日曜日は夕食を家族でいただいたあと
病院へ送り届けました。


その夜、自宅に戻り
ふとしたことで、涙があふれてとまりませんでした。
私はひとりで泣きながら
「お父さん、ありがとう」と何度も心でつぶやきました。
こんな身体になってまで、私たち姉妹や母の
今後の家計のことやなにかを心配して
自分の入院費や諸経費、
そして私たち姉妹に自分のための労賃という項目まで
書きとめた紙を渡されました。
厳しいこともこれまでたくさん言われましたが
やはり私たち家族のことをいちばんに考えてくれている父に
何度ありがとうを言っても、感謝しきれない。
いまもこのブログを書きながらも
涙が出てきます。


大切な人との別れは
かならずあるとわかっていながら
涙のうちに過ぎた週末でした。


今日も祈りのうちに